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ハワード・ヒューズ

(映画)
はわーどひゅーず

Howard Hughes(1905年12月24日〜1976年4月5日)
映画プロデューサー、映画監督、会社経営者、飛行家、航空機製造者、そしてなによりも大富豪。

概略

テキサス州ヒューストン出身。
油田掘削機の発明で巨万の富をなした父親の下に生まれる。幼少期は過保護な母親の溺愛を受ける。自動車を分解して組み立てたり、オートバイを自作したり、飛行機の操縦を身につけるなど、早くから天才的な資質を発揮している。
1924年、わずか19歳でヒューズ・ツール(父親の会社)を継承する。が、経営は他人に任せて自己資金でハリウッドで映画プロデューサーになる。『地獄の天使』『暗黒街の顔役』『ならず者』など、ヒットを飛ばしたり、金を使いすぎて失敗したりと活躍。
1932年にはリンドバーグの航空会社、TWAを買収。さらに1935年にヒューズ・エアクラフトを設立、飛行機製作に乗り出す。自ら開発した飛行機を自分で操縦して速度記録を樹立するなど本領を発揮。
1946年に自ら開発した飛行機のテスト飛行を自らの手で行っていた際に墜落、全身に火傷を負う。このため、容貌(と性格)が激変した。
1948年には経営不振に陥っていたメジャースタジオのRKOを買収。しかし再建に成功できず*11955年に売却して映画界から離れる。
1953年にはハワードヒューズ医学研究所(Howard Hughes Medical Institute)を設立する。
1966年に5億ドルでTWAを売却したが、1970年にエア・ウェストを買収するなど、航空事業に関わりつづけた。
晩年はラスベガスに移り、ホテルやカジノ、テレビ局などを買収。1940年代からの細菌恐怖症が悪化したためホテルに篭りきりでほとんど誰にも会わない生活を送る。
1976年、メキシコからヒューストンの病院に移送される途中の飛行機の中で死去。死亡時には身長が10センチ以上縮むなど容貌が激変していた*2ため、FBIが指紋によって本人確認を行わねばならなかったといわれている。

主な製作機

H-1レーサー(エアレース用機体。世界最高速度などの記録を樹立)
H-4スプルース・グース(世界最大の飛行艇)

登場作品*3

  • メルビンとハワード
  • タッカー
  • ロケッティア
  • アビエイター

その他

  • ハリウッド時代には多数の女優と浮名を流したプレイボーイだった。好みのタイプは「離婚したばかりの女」
  • 10代の頃の人生の目標は「世界最高のゴルファーになること、世界最高のパイロットになること、世界最高の映画プロデューサーになること」だった*4
  • 1972年にはCIAと組んで、ソ連の軍事機密を探るためハワイ沖で沈んだソ連潜水艦の引き揚げ計画に参加。1974年に行われた引き揚げは、公式には失敗したことになっている。まあ冷戦中なので、本当に失敗したかどうかは不明。
  • 晩年の奇行の数々*5は書ききれないので省略
  • きっと、宇宙人が攻めてきたらヒューズ研究所を作って戦ってくれたことでしょう。合掌。

*1:と、いうよりも迷走させ

*2:薬物使用などによるものと噂される

*3:製作作品でもないし、本人が直接出演しているという意味でもないです

*4:一般には、さらに「世界最大の金持ちになること」も目標の一つだったとしている。いずれにせよ、ゴルフ(ハンディ1までは行った)以外の目標は達成したといっていいだろう

*5:細菌恐怖症のためにティッシュに埋もれるがごとき生活であったとか、不眠症の時に映画を観たいからテレビ局を買い取ったとか、居眠りして映画の一部を見逃すと再度放送させた、など

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