Reino de Castilla
1035年から1715年までイベリア半島中央部にあった王国。キリスト教国によるレコンキスタ(国土回復運動)において主導的役割を果たし、後のスペイン王国の中核となった国家である。
スペインの中央部と北部の高原地帯。10世紀半ばにカスティーリャ王国が成立。1479年アラゴン王国と合併しスペインに統一王国をもたらした。
15世紀末のスペインにおけるレコンキスタを扱った「Granada: Last Stand of the Moors – 1482-1492」(Compass Games)を対戦した。 グラナダの降伏:ナスル朝最後のグラナダ王であったボアブディルが、1492年グラナダの街を明け渡し、カトリックの君主であるカスティーリャ王国のイザベラ一世、アラゴン王国のフェルディナンド二世に鍵を渡した場面。1882年製作、フランシスコ・プラディーリア・オルティス作、マドリード上院議事堂 ルール補足 戦闘ルール その他 プレイ 初期配置 1482~1483年頃 1484年頃 1485年 1487年頃 1492年頃(…
「カステラとは,安土桃山時代にポルトガル経由で日本に伝わった『南蛮菓子』をもとに日本で生まれた和菓子の一種」とされています. https://www.castella.website/nagasakicastella/000000000004/ https://www.fukusaya.co.jp/ https://shooken.com/ カステラの語源は,「ポルトガル語のpão de Castella (カスティーリャ王国ースペインの一地方ーのパン)もしくはBolo de Castelaを略して,当初はカステイラとした」とするのが一般的. 精選版日本国語大辞典,ニッポニカ,改訂新版世界大百…
11世紀初め、元主君サブールを追放し新たに王朝を打ち立てたアル=マンスールの一族は、そのおよそ100年後に存続の危機を迎えていた。 王国を拡大させた3代ウマルの死後、2代続けて10年に満たない統治の中で不審な死を遂げ、6代ワハブはわずか4歳での即位となった。 そしてその「摂政」を務めるのが、家令タイタル。 優秀だが黒い野心を持つこの男の手により、反乱はすべて意図的に起こさせられた上で鎮圧され、アフタス家の者さえも含む反乱首謀者たちの多くが処刑されることとなった。 今や、タイタルは王家アフタス家をも凌ぎ、このイベリアの真の支配者たらんとしていた。 だが、ワハブは決して、沈黙するだけの王ではなかっ…
「3 ヴァナキュラーな価値」より ようやく、著者の言う、「ヴァナキュラーな領域」の意味がわかってきた。頭の出来が悪いな。 コロンブスよりも、カスティーリャ王国(大雑把に言うと、今のスペインの母体)にとって重要な人物を取り上げていた。コロンブスが国外拡大ならば、その人物は王権の領土内浸透に重要な役割を果たした。 著者イリイチと言えば、大雑把に言えば、「シャドウワーク」という概念を提唱し、(特に)ジェンダー問題に、社会科学的視点から、キータームを提供した人物として有名。しかし、この論文集を少しずつ読むと、認識が変わる。彼の業績は、それだけに限定されないのではないかと、思われる。むしろ、矮小化してい…
「勝利者」アル=マンスールから始まるアフタス朝は、アル=マンスールの孫にあたる第3代「狼王」ウマルの時代に大きな繁栄を迎える。 しかしウマルの死後、王国は混乱の時代を迎える。まずはウマルの息子であるアル=ファドルはカスティーリャ王国を打倒し、反乱も抑え込むことに成功するも、即位から7年で突如暗殺の憂き目に遭う。 続く第5代アブー=バクルもまた、即位から6年目の1109年8月4日に苦しみと共に死を迎える。 これを受け第6代国王として即位したのが、わずか4歳のワハブ・イブン・アブー=バクル。 そしてその統治の実権を握るのは、幼いワハブ王の「摂政」を務める男、タイタル。 偉大なるアル=マンスールと狼…
11世紀初頭、後ウマイヤ朝末期の混乱に乗じ、元スラヴ人奴隷のサブールが建国したバダホス王国。そのサブールの宰相を務めていたベルベル人、通称「バダホスのアル=マンスール」ことアブダラー・イブン・アル=アフタスがサブール死後その息子たちを追放し王国を簒奪してから始まったのが、アフタス朝バダホス王国である。 その3代目にして「狼王アルディブ・アルマリク」と呼ばれたウマル・イブン・アルムザッファルは、英雄と称されたシル・ベラス将軍らの活躍もあり、一挙に領土を拡張。アル=アンダルスを完全に統一し、北方のキリスト教国に対しても優位を保ち、イベリアの統一も間近に迫っていた。 しかしそんな狼王も、51歳のとき…
11世紀前半に後ウマイヤ朝が滅んだ後に生じた、タイファ時代と呼ばれるアル=アンダルスの戦国時代。これを勝ち抜き、新たにアル=アンダルスの支配者となったのが、「バダホスのアル=マンスール」より始まるアフタス朝バダホス王国である。 王国の大国化を成し遂げたのは、アル=マンスールの孫である3代目ウマル。「狼王(アルディブ・アルマリク)」と呼ばれた彼はアンダルス最強のタイファ・トゥレイトゥラのズンヌーン朝も打ち破り、アル=アンダルスを見事統一した。 さらにマグリブを支配するムラービト朝の内紛にも介入し、これを味方につけることにも成功。 あとは北のキリスト教勢力を駆逐するのみ、であったのだが・・・ 10…
11世紀前半に後ウマイヤ朝が滅んだ後、戦国時代と化したイベリア半島南部アル=アンダルス。 その中で台頭してきた勢力が西のバダホス王国と東のトゥレイトゥラ(トレド)首長国。 共にベルベル語を操るムワッラド派イスラム教徒たちという共通点を持つ彼らは同盟を結び、ときに北のキリスト教徒たちと戦いつつ、アル=アンダルスにおける勢力圏を拡大していった。 やがて、1082年夏。 ついに、この両者がその覇権を巡ってぶつかる瞬間が訪れた。 傭兵を雇用し5,000超の兵を集めるトゥレイトゥラ首長ヤフヤーに対し、アフリカなどから援軍を呼んで7,000近い兵を集めたバダホス王ウマル。 最終的にカブラの地で繰り広げられ…
1031年に後ウマイヤ朝が滅亡した後、アル=アンダルスと呼ばれるイベリア半島の南半分は、タイファ時代と呼ばれる混沌の戦国時代を迎えていた。 そのタイファ諸国の1つ、バダホス王国は、アフタス朝の創始者アル=マンスールの孫にあたるウマル・イブン・アルムザッファルの時代に勢力を拡大。エル・シッド率いるカスティーリャ王国軍を撃退し、その領土の一部を奪った他、後ウマイヤ朝の首都クルトゥバも獲得し、首都を移転。トゥレイトゥラ首長国と並ぶアル=アンダルスの二大勢力となった。 だが、急激な拡大の代償として、国内では歪みが生まれつつあった。 カスティーリャ王国から奪ったアビラの支配を盤石にするために、そのアビラ…
1031年。後ウマイヤ朝が滅亡。 巨像を失ったアル=アンダルスは、「タイファ時代」と呼ばれる混沌とした戦国時代へと突入する。 互いに支配権を巡り相争うイスラム教徒たち。さらには北のキリスト教徒たちもまたここに介入し、半島は未曾有の混乱へと陥っていく。 その混沌とした時代の中、イベリア半島西部に位置する都市バダホス(バタルヨース)を中心としたバダホス王国もまた、そんなタイファの1つであった。 11世紀初頭、サカーリバと呼ばれるスラヴ人奴隷出身のサブールによって建国されたこの国は、サブール死後、その息子たちを追放し、サブールの宰相であったベルベル人アブダラー・イブン・アル=アフタス、通称「バダホス…
2024年3月3日快晴 此処のところ引きこもりがちであったが、余りに空が晴れ渡っていたので日本橋まで桜を見に行った。 昨年同時期に来たときと同様ほぼ満開の状態であった。 室町1丁目から見える首都高 あじさい通り おかめ桜は中央通りから2つ北側にある通り、あじさい通りや本銀(ほんしろがね)通りに花を咲かせる。それ程知られてはいないようで日曜日にもかかわらず通りは閑散としていた。 何やら騒がしいと思ったら 本日は東京マラソンの日だった 日本橋三越前中央通りを走り行くランナー達 むろまち小路 再びあじさい通り 福徳神社 此方は福徳神社境内の梅花マラソンのため地上での往来は出来ないのでJR日本橋駅入口…
潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる成功への道しるべ!この世は全て催眠だ723 〜プレストvsフォルテッシモ!しかも練習不足〜 さて、私が中学一年生の時、毎年一月に開かれる宝塚大劇場での「アマチュア・トップ・コンサート」の時の思い出です。劇場にあるラストの大ひな壇(大階段)で、出演者全員が暗譜(楽譜を見ないで演奏する)で合同演奏してフィナーレを飾るのですが、私が中一の時の一番最後は、数年前に大ヒットした映画でイタリア・アメリカの合作大作「エル・シド」のテーマでした。日本では1962年に封切られていました。 大スペクタクル映画と言えば、最も有名なものは「ベン・ハー」です。この種の映画で…
第1問(20点) 乾隆帝の70歳の誕生日を祝賀する行事に参加する朝鮮の使節に随行して熱河の離宮に赴いた朴趾源(ぼくしげん)の『熱河日記』は、その冒頭で年次を記すのに「後三庚(こう)子」(明の崇禎(すうてい)年間より後の三回目の庚子の年)という表記を用いている。ここには、当時の朝鮮と中国の関係の一面が表れている。16世紀末から19世紀末にいたる朝鮮と中国の関係の変化について、300字以内で説明せよ。解答は所定の解答欄に記入せよ。句読点も字数に含めよ。 第2問 次の文章(A、B)を読み[ ]の中に最も適切な語句を入れ、下線部(1)〜(20)について後の問に答えよ。解答はすべて所定の解答欄に記入せよ…
2024年(令和6年)1月3日(水) 年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。今は2ヶ国目のスペイン滞在中。前回は世界遺産セゴビア旧都市の構成要素のひとつ、セゴビア大聖堂について書きました。 fuwari-x.hatenablog.com セゴビア大聖堂を見学後、11時半に予約していたアルカサルへ向かいます。アルカサル=城という意味で、古代ローマ時代には既に要塞が建っていたという要所。 まずはアルカサル庭園に入ります。 1808年5月2日スペイン独立戦争の皮切りとなった大衆による蜂起(ドス・デ・マヨ蜂起)において、唯一スペイン軍からその蜂起に加わった部隊がありました。そ…
アフィリエイト広告を利用しています ## イサベル1世とは誰か?イサベル1世といえば、スペインのカスティーリャ女王で、夫フェルナンド2世と共にカトリック両王と称される人物です。彼女は1451年にカスティーリャ王フアン2世の娘として生まれました。彼女は18歳でアラゴン王子フェルナンドと政略結婚し、1474年に兄エンリケ4世の死後、カスティーリャ女王に即位しました。彼女は1492年にイスラム教のグラナダ王国を征服し、レコンキスタ(イベリア半島のキリスト教国によるイスラム教国の領土回復運動)を完成させました。また、彼女はコロンブスの新大陸探検に援助を与え、スペインの海外進出の基礎を築きました。彼女は…
2024年(令和6年)1月1日(月) 年末年始、ルクセンブルクを皮切りにヨーロッパ10日間の旅行です。今は2ヶ国目のスペイン滞在中。前回はマドリードからクエンカの列車移動で、遅延につき乗り継ぎのバスに間に合わなかった話を書きました。 fuwari-x.hatenablog.com タクシーを降りたPlaza Mayor(マヨール広場)では、タクシー代を負担するという2人から明るく辞退するために、そばに建つクエンカ大聖堂は撮らず、急いでホテルへの道に見当をつけて下ると広場に出ました。騎馬像は1177年にクエンカを奪取したAlfonso VIII(アルフォンソ8世)です。 17時半ごろクエンカ。歴…