5機以上の敵飛行機を撃墜した戦闘機パイロットのこと。撃墜王。
著名なエースパイロットには以下のような人物がいる。
※なお、記載の撃墜機数はそれぞれの場合の一般的な数字に従ったものです。したがって「専門家が戦闘記録を分析してそれなりに確認されている場合」と「単なる通説」とが混在していますが、そういうものだと思ってください。
第一次世界大戦
- マンフレート・フォン・リヒトホーフェン大尉(ドイツ・81機・通称「レッドバロン」)*1
- ルネ・ポール・フォンク少佐(フランス・75機)
- エドワード・マノック少佐(イギリス・73機)
第二次世界大戦
ドイツ
- エーリッヒ・ハルトマン少佐(352機・世界最多撃墜を誇るトップエース。負傷したこともなければ列機を失ったこともなく、まさに神)
- ゲルハルト・バルクホルン少佐(301機・歴史上2人しかいない300機撃墜達成者の一。ハルトマンの師匠。人格者)
- ハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉(158機・傾奇者もしくは大ふへん者。一日17機撃墜とか、一ヶ月で61機撃墜とか理解不能な凄さ)
- ヴェルナー・メルダース大佐(115機・史上初の百機撃墜達成者。ロッテ戦法の考案者)
- アドルフ・ガーラント中将(104機・スペイン内乱時から戦闘機隊総監を経てJV44指揮官まで戦い続けた)
- ヴァルター・ノボトニー少佐(258機)
- ハンス・ウルリッヒ・ルーデル大佐(9機・空戦のスコアは平凡だが、真価はストゥーカ乗りとして発揮されている。30回の被撃墜を乗り越え、戦車519両、軍用車800台以上を撃破。戦艦・巡洋艦・駆逐艦を各1隻、上陸用舟艇を70隻撃沈し、スターリンをして「ソ連人民最大の敵」と言わしめた豪勇)
イギリス
- ジェームズ・ジョンソン大佐(38機・英空軍トップ。)
- アドルフ・マラン大佐(32機・南ア出身。「空戦十則」でも有名)
- ダグラス・バーダー大佐(21.83機。戦前に事故で両脚とも義足となるが、パイロットとなりバトル・オブ・ブリテンで大活躍*2)
ソ連
- イワン・コジェドゥープ(62機・ソ連第一位)
- アレクサンドル・ポクルイシキン大佐(59機・スコアの大半をP-39エアコブラで叩き出した魔人)
- リリヤ・リトヴァク中尉(12機・女性パイロット)
フィンランド
エイノ・イルマリ・ユーティライネン曹長(94機・フィンランドのトップ)
アメリカ合衆国
- リチャード・アイラ・ボング少佐(40機・アメリカの最多撃墜王)
- トーマス・マクガイア少佐(38機・アメリカ第二位)
- デビッド・マッキャンベル中佐(34機・米海軍トップエース。*3)
- グレゴリー・ボイントン(28機・海兵隊のトップエース。ならず者)
- ロバート・ハンソン(25機・17日間で20機撃墜というハイペースで活躍し、戦死*4)
日本
- 岩本徹三中尉(202機・日本海軍トップエース。実数80機前後とも説もある)
- 西沢広義飛行兵曹長(86機・120機説もあり)
- 坂井三郎中尉(64機・おそらく、知名度では日本最高。著書「大空のサムライ」で世界的にも知られる存在)
- 黒江保彦少佐(51機・日本陸軍トップエース。ただし、実数30機との説も。加藤隼戦闘機隊の副隊長)
- 穴吹智曹長(51機・日本陸軍のトップエース)
その他
※敗戦側である枢軸軍側のエースのほうが撃墜数が多い。負け戦で人手不足で連続出撃が多かったとか、連合軍側が物量にものを言わせる戦法であったとか、勝ってる側は消耗を避けるために休養をスケジュールに入れていたとか、そういう理由による。(機体の質の差も影響していると思われるが、どの程度に評価するべきかは難しい。大戦初期の連合軍機は一般に劣っていたかもしれないが、双方の新型機が登場してきた戦争後期ではジェット機みたいな理不尽なケースを別にすれば、それほどの差はないと見るべきか)
※日本の場合、組織的・文化的問題から個人の戦果確認に積極的であったとは言い難く、記録もわりとはっきりしないことも。