Astor Piazzolla (1921-1992)
1921年3月11日アルゼンチン、ブエノスアイレスに生まれ。
1992年7月4日、長い昏睡状態の後、ブエノスアイレスに没す。
音楽家(ミュージシャン)。バンドネオン奏者。作曲家。
タンゴ界の革命児にして、タンゴには必要不可欠な楽器、バンドネオンの天才的奏者でもある。
それまではダンス・ミュージック、踊るための音楽であったタンゴを、聴くためのタンゴという新しいジャンルの音楽を作った。特にジャズやロックの影響を受けたリズム感と、バロックから得られた和声の展開などは、20世紀まで脈々と続いて来た音楽の歴史を統べる集大成ともいえる。そのため、20世紀の音楽を語る上では欠かすことの出来ない音楽家のひとり。
映画界とも交流を持ち、40年代から楽曲を提供。『サンチャゴに雨が降る』(76)、『ローマに散る』(76/フランチェスコ・ロージ)、「ヘンリー4世」(84/マルコ・ベロッキオ/『忘却』を含む)や、フェルナンド・E.ソラナスとの『タンゴ/ガルデルの亡名』(85/セザール賞音楽賞)、『スール/その先は愛...』(88/フランダース映画祭ジョルジュ・ドルリュー(音楽)賞)、『ラテン・アメリカ/光と影の詩』(92)などを手掛けた。
80年代に度々訪れ、ゲーリー・バートンとのデュオは空席が目立つも、ミルヴァとの《エル・タンゴ》は彼女の人気もあって絶賛され、その後小さなライブハウスなどでも演奏を披露し、熱演を目の当たりにすることができたが、一部のファンのものであった。
日本では没後5周年にあたる、97年頃にブームが到来し、サントリーウイスキーのCMで、ヨーヨー・マが彼の曲「リベルタンゴ」を弾いたことにより、広く大衆に知られることとなった。が、ヨーヨー・マはチェリストであるため、ピアソラがタンゴ、バンドネオンを扱う音楽家であるという認知が広くまで広まったかどうかは疑わしい余地がある。
しかしながら、97年のブーム以降、続々と彼の音源がCD化され、彼の曲を手に入れることは非常に容易になった。