Zequinha de Abreu ゼキーニャ・ジ・アブレウ(本名:Jose Gomes de Abreu ホセ・ゴメス・ジ・アブレウ)
1880年生まれ、1935年没のブラジルの作曲家。
薬剤師の父を持つ8人兄弟の長男。17歳で音楽隊を設立し、翌年4歳下の女性と結婚。小学校の教員を務めるが、のちに、故郷に戻り、リーラ・サンタ・リテンセと、スマート・オーケストラの楽団を設立。リーラ・サンタ・リテンセは、サンパウロのコンクールで準優勝を収めた。
また、市議会の書記・財務事務所の書記などを務めながら両親と同じく、8人の子供をもうける。
ベートーヴェン社というピアノ販売店でのピアノ・デモンストレーターの仕事としての演奏で人気を博し、その後、1924年にワルツ「ブランカ」Brancaが、ヴィセンテ・ヴィタレVicente Vitale(現在のIrmaos Vitale社)から出版され大ヒット。独占契約を結ぶ。また、1933年にゼキーニャ・ジ・アブレウ楽団を設立。
代表曲に、チコ・チコ・ノ・フバー(ティコ・ティコ)がある。