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龍膽寺雄

(読書)
りゅうたんじゆう

明治34年千葉県佐倉市生まれ。大正12年慶応義塾大学医学部に入学。大正13年頃から義父の影響を受けて文学の勉強を始めた。昭和3年4月、雑誌『改造』創刊10周年記念懸賞募集に応募し、1200編中1等に当選。「放浪時代」5編中2編が発表され、佐藤春夫に認められ、一躍脚光を浴びる。なおこの時の評論部門の1等は、宮本顕治の「敗北の文学」であった。昭和3年11月、同じく『改造』に発表した「アパアトの女たちと僕と」が谷崎潤一郎に絶賛され、一躍作家的地位を築いた。龍膽寺によればこの作品に対して、始めて千葉亀雄が「モダアニズム文学」という呼称を使ったと言う。初期ムーランルージュの文芸部員を勤めるなど、新興芸術派の旗手として常に時代の尖端で活躍。昭和9年『文芸』に、「M・子への遺書」を発表、川端康成への盗作批判などを含む強烈な文壇批判を行い、大きな波紋を巻き起こし、この作品が事実上、龍膽寺の文壇に対する絶縁宣言となった。以降文壇から離れ、東京郊外に移り住んだ。
 昭和13年頃からシャボテンの研究に従事し、戦中戦後を通して、シャボテンの専門書10数冊を上梓、海外に迄名を知られるようになった。龍膽寺の談話では『シャボテンには不思議なエロティズムを感じる』そうである。
 戦後も多ジャンルに亙り(歴史小説や冒険小説も書いている)発表したが、「不死鳥」(『改造』昭和27年1月号)に代表されるような、性愛問題を扱った作品が注目された為か、戦前程の文壇的評価は受けずに終わった。平成4年6月3日、心不全の為に91歳で死去。
 前記のもの以外の代表作には、「魔子」、「風−に関するEpisode」、「街のナンセンス」などがある。
 

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