植山古墳東石室馬門石製家形石棺 熊本県に暮らす者にとって、ここが嘗て「火(肥)国」と呼ばれた地域であった事は誰でも知っているものの、火の国がどこで発生しどの様な勢力であったのか等、具体的な話になると依然としてよくわかっておらず推測やイメージの域を出ない。 そこで少しでも火国の実態に近づくことができればと考え、風土記の中からこれまであまり知られていなかった記事を元に、当時の火国や火の君の置かれた状況について見いこう。 1. 播磨風土記に記された火の君の祖先伝承 近年、『播磨国風土記』のみに記述された、『継潮(つぎのみなと)』の地名説話の中に、火の君の祖先伝承に関する記述が見られる。 その風土記の…