飯沼貞吉(いいぬま・さだきち、1854〜1931)
幕末〜大正時代の武士,官吏。
1868年、会津藩の白虎隊編制のとき15歳を16歳といつわり入隊。新政府軍の会津攻撃の際,飯盛山で隊士19名とともに自刃をはかったが,ただひとり生還。維新後貞雄と改名。逓信技師となり,仙台逓信管理局工務部長をつとめ,日清戦争にも従軍した。
こんばんはつけみゅうです。 天気が良いとどこか出かけたくなりませんか? 寒いですが、気晴らしにいいですね。 さて、今回は「飯盛山を観光してみた」を記事にしたいと思います。 今回お目当ての御朱印は これは御朱印か?と正直思いましたが、宇賀神堂の御朱印と聞いて「神社だな」と御朱印に記帳していただきました^^ 時を戻そう^^ 飯盛山に車で行く際には駐車場にお気を付けください。 有料と無料があります。 無料と書いてあってもお金が発生するシステムの駐車場があります。 詳しくはメールください(笑) おススメは こちらです。舗装されてませんが、駐車場としては十分です。 トイレもキレイですし、観光案内所もあり…
■旧札幌第一ホテル横の空き地を掘り返してるなと思って見ていたら、いつの間にか石碑が建っていた。「會津藩白虎隊士 飯沼貞吉ゆかりの地」。ホテルの入口近くにあったのをこっちに移したらしい。しばらく空き屋だったのが買い手が決まったと前に見た。解体するのに石碑をどけたんだろう。もとはNTT会館だったここの建物、けっこう好きだったんだけどな。なくなっちゃうのか。■飯沼定吉は年齢を偽り15歳で白虎隊へ入隊。飯盛山で自刃するも死にきれず、その後は電信技師となって日本各地を転々とした。札幌には1905年から1910年までいて、当時、このあたりに住んでいたらしい。石碑が山の形をしているのは飯盛山を象ったのかな。…
6/11(日)午前8時、HMNや改めわがまま会のおやじ6名は会津若松に向け旅立った。スマートICから常磐道にINしいわきICで磐越道にSWITCH、会津若松ICでOUTし喜多方ラーメン発祥の店と言われる源来軒に到着。9年前に一度訪れているのだが改装工事中でお店は休業中だった、なので9年越しのリベンジとなる。 入店が午後0時30分ごろ、有名店なのでかなり待つことは覚悟している。店舗1階はほぼ満席だったが、人数(6名)を告げると2階に通された。2階は畳みのテーブル席でゆったり座れてラッキー、9年前に改修したとは思えないレトロ感でとても落ち着く。メニューは丼モノやタンメンに焼きそばなどもあり普通の町…