80年代のプロ野球選手。現・荒川区議会議員。
旧名「長崎啓二(1981年〜1987年)」。
通称、「和製ミッキー・マントル」。
左投左打、ポジションは外野手。背番号は23→7→3番。
1950年5月13日生まれ。大阪府出身。
北陽高校で注目され、1968年、ドラフト8位で阪神タイガースに指名されるも、母親の反対で入団拒否。
1969年、法政大学に入学。1972年には2期連続首位打者を獲得。
1973年、ドラフト1位で大洋ホエールズに入団。ホエールズ打線の中軸として活躍。1978年にはサイクルヒット達成。
1982年、田尾安志との激しいタイトル争いを制し、.351で首位打者に輝く。
1985年、球団との軋轢が原因で、池内豊との交換トレードで阪神に移籍。
横浜大洋ホエールズのファンに非難を浴びた。
勝負強い左の代打としてセ・リーグ優勝に貢献、日本シリーズでも活躍。
1987年、現役引退。
1993年、阪神タイガースの打撃コーチに就任。1995年、退団。
東京・新橋で和風炭火焼肉「長崎」を開業。
2000年、日本代表の打撃コーチに就任。シドニーオリンピックを戦った。
2001年、高校野球の指導者を目指し、教員免許修得のため東洋大学二部に通学。
2003年、荒川区議会議員選挙に立候補し、当選。
2006年、アマチュアの指導者の資格を得る。
マスターズリーグ・札幌アンビシャスの選手としても活躍中。