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谷沢永一

(読書)
たにざわえいいち

コラムニスト文芸評論家。日本近代文学、書誌学、関西大学名誉教授。
1929年生まれ。2011年3月8日、死去。81歳だった。
関西大学卒。
若い頃は共産党員だったが、転向し、天皇崇拝家の保守派となる。開高健とは同人誌時代からの友人だが、開高の才能に接して小説家志望をとりやめた。 
『大正期の文芸評論』(1962)が最初の著作で、のち中公文庫に入った。
『完本・紙つぶて』でサントリー学芸賞、この類の書誌学的コラムは厖大な量の知られざる書物を紹介しており、一冊読んだだけで物知りになった気になれる。
東大を憎むこと激しく、1977年、東大教授・三好行雄と論争を行い、やはり東大教授(駒場)の越智治雄を激しく攻撃した。谷沢は書誌を学問の基礎とし、「作品論」の類を「学術雑誌に載っていれば論文で、文芸雑誌に載っていれば評論だなどというばかなことがあるか」と喝破した。
また1980年の「アホばか間抜け 大学紀要」(『あぶくだま遊戯』所収)では、大学紀要に載っている論文がいかにくだらないか痛罵したが、実例として取り上げられた論文は割りに優れた、しかし東大出身者のものだったので、東大攻撃の一環だったとされている。
数多くの読書コラム、人生論も出しているが、文学者でありながらも虚学に淫することを戒め、司馬遼太郎の「町人哲学」を称揚し、長谷川慶太郎松下幸之助を礼賛する著書もあり、関西人の実学的な立場を強調するが、その「論語」解釈は呉智英に痛罵されている。
また親友開高の死後、『回想 開高健』を異様な文章で書き、その妻牧羊子がいかに悪妻だったかを暴露した。
1995年刊行の『人間通』はベストセラーとなった。
渡部昇一との共著も多く、大東亜戦争肯定論者であるため、「新しい歴史教科書をつくる会」に賛同しなかったと言われ、同教科書の誤りを指摘して絶版を勧告したが、藤岡信勝西尾幹二が東大卒であったことも関係しているだろう。近年は『「広辞苑」の嘘』『聖徳太子はいなかった』など迷著も多く、保守派の加地伸行から厳しく批判され、また裁判員制度をめぐってやはり保守派の長谷川三千子を口汚く罵るなど、保守派との内輪もめが多い。その一方、「左翼(偽?)」の井上ひさしが取り仕切る読売文学賞を『文豪たちの大喧嘩』で受賞している。

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