茶界の巨星墜つ、正に千利休の死はそう言うに相応しい出来事でした。利休が亡くなり、それを追う様に津田宗及が亡くなり、今井宗久が亡くなりました。三宗匠といわれた三人が相次いで3年以内に亡くなった事で、それまで二軍に控えていた古田織部が躍り出て来ます。 織部は家督を嫡子・重広に譲り、伏見の屋敷に「凝碧亭(ぎょうへきてい)」という茶亭を設け、茶湯三昧に耽(ふけ)って行きます。 茶 史 織部が直に関係した件は黒字、茶史・その他政治史・戦史に関しては青字で記します。 1598(慶長3) 古田織部、家督を嫡嗣子の重広に譲る。 織部は家督を重広に譲り、隠居領として3,000石を貰う。そして、此の頃伏見の屋敷に…