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統一教会信者の拉致監禁

(一般)
とういつきょうかいしんじゃのらち

統一教会信者の拉致監禁問題とは、壷売りなどの霊感商法や献金強制や強引な布教や洗脳や集団結婚式を行ったことでカルトとしてかつて批判され、現在でも、内部改善は進められているものの、未だにカルト的な問題点を多く抱える宗教団体、統一教会の日本人信者の一部が、日本において、反カルトを掲げる団体の一部と親の一部によって、暴力的に監禁され、対抗洗脳、対抗プロパガンダで強制改宗させられているとして、統一教会と反対派で争論となっている問題のこと。

『我らの不快な隣人―統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇』、米本 和広、2008、では、統一教会の内部でも、カルトではない側面もあることや、教会内部で結婚した一般の信徒の中での幸福な日常の生活もあることを紹介し、また反カルトが陥るカルト性にも注意を促し、暴力的な改宗が見られることを主張し、脱会した後、PTSDになり、統一教会にも反カルトにも批判的になった元信者の例を紹介し、そのような反カルトの暴力を非難し、是々非々の態度を呼びかけている。精力的なカルト批判を繰り広げ、カルトにより人生を破壊された人々の悲劇を多く紹介してきた米本は、本書でも統一教会のカルト性や問題点をも指摘している。米本は、親が信念を押し付けることで不幸になる子供という視点から、カルトの暴力や反カルトの暴力を見ている。

反対派は、これはあくまで保護であるとし、多少手荒なまねがあったにせよ、それは子供をカルトから救いたいと思う親の気持ちからでた多少の行き過ぎに過ぎず、現に不起訴処分になっていると反論する。

カルト性と一般の宗教性のはざまにある組織として統一教会のほかには創価学会がある。また、イスラーム社会ではバハーイーヤやアフマディーヤがカルト呼ばわりされて迫害されているが、彼らについていえば統一教会や創価学会のような問題はそれほど顕在化していない。そして、既存の社会に広く認められた宗教(や世俗イデオロギー)も最初はカルトとして始まり、そして既存社会との調整を行い脱カルト化した(それには正負両面あるし、既存社会の価値観が正しいというわけでもなく、調整は常に是々非々ではあるが)。『イスラーム教「異端」と「正統」の思想史』、菊地達也、2009は、シーア派やハワーリジュが、少数の先鋭的な集団としてではなく、その宗教の秩序の中で日常生活を送る一般信徒を抱え込むようになった時点で、初期ハワーリジュやタウワーブーンにみられるカルト的な熱狂は失われていき、最終的にイバード派(ハワーリジュ)や12イマーム派やアーガー・ハーンのイスマーイール派(ともにシーア派)のような現実にあった解釈が生き残ったことを挙げている。これに照らせば、創価や統一は初期ハワーリジュやタウワーブーンのようにカルトとして消滅するか、バハーイーヤやアフマディーヤやイスマーイーリーヤや12イマーミーヤのように社会の中の宗教として適応していくかその岐路に立っているといえる。

統一教会のカルト性としては、霊感商法や献金強制や強引な布教や集団結婚式以外に、純潔カルトや家族カルトも挙げられる。彼らは似非保守的な純潔教育を推進し、おなじく似非保守的な家族を聖化し、またジェンダーロールを美化し、万人のセックスの自由、ジェンダーロールからの解放、そして家族イデオロギーからの解放を阻んでいる。

統一教会が非カルト化するかどうかについてはこれからの彼女ら/彼らの行動しだいであるが、統一教会がカルトであり、徹底的に批判されるべきであり、反カルトを掲げるとしても、それとは別の問題として拉致監禁や強制改宗は絶対に許されない暴力という意見がある。

また、米本の指摘する反カルト派の暴力や問題点を認め、それに反対しつつも、それが統一教会のカルト性美化への免罪符として統一教会により宣伝されること(実際その動きはあった)は許されないとする懸念や批判を行う人々や、拉致監禁のような暴力や、脱会屋ビジネスや強制改宗だけが脱会の手段ではなく、平和裏に円満脱会した事例も多いのだから米本の批判は反カルト側に厳しすぎるのではないかという意見もある。

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