(生没年不詳) 鎌倉時代の刀工(刀鍛冶)。粟田口派の祖・粟田口国家の子。刀工一家の次男であり、兄弟の粟田口国友、粟田口国清、粟田口国吉、粟田口有国、粟田口国綱を総称して俗に粟田口六兄弟と呼ばれる。後鳥羽上皇に御番鍛冶として召され、特に師範格の「師徳鍛冶」を拝命した。字は藤次郎。受領大隅権守。受領名を授かった最初の刀工である。
東京都六本木に太田道灌が久国の太刀を寄進したことに名を由来する「久國神社」がある。