みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。 前回の続きになります。 さらにその後、新しい宮家から分立する宮家もあり、明治期に宮家の 数が増やされ、その後は増減を繰り返しながらも、終戦時には伏見宮 系統の11の宮家が存在していました。 その伏見宮は600年も昔に天皇家から分立した家ですから、天皇家 から相当の隔たりがあると思うかもしれません。しかし伏見宮と天皇家 は600年間、お互いに娘を嫁がせながら、常に近い関係を保ってきたの です。 明治天皇の皇女のうち、成人した内親王4方は、いずれも邦家親王の孫と 結婚し、その内の3方は新しい宮家を創設しました。 それが 朝香宮(あさかのみや) 東久邇宮(ひがし…