第53代天皇。名は大伴、上皇の御所とした淳和院を西院とも称したので西院の帝とも呼ばれる。 桓武天皇の皇子。母は藤原旅子(式家・藤原百川の娘。宇合の孫。) 平城天皇、嵯峨天皇の異母弟。光仁天皇の孫。 在位823年4月16日〜833年2月28日
薬子の変によって立太子。強大な嵯峨天皇の影響力の下でその治世中は平穏であった。 漢学に優れ、「令義解」「経国集」を編ませた。 歴代天皇の中でただ一人、自らの意思で火葬の後その遺骨は散骨された。
前回(2024/3/11)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第32歌です。1.経緯 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-32歌は、「第七 乗り越える歌群(4首 詞書3題)」の第4首目である。3-4-28歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを再確認した。3-4-29歌~3-4-31歌は類似歌とは歌意が異なっているが恋の歌の再確認は保留している。 歌は、『新編国歌大観』より引用する。 2.再考の結果概要 3-4-32歌 ① 『猿丸集』の第32番目の歌と諸氏が指摘するその類似歌は…
寝屋川市木屋の「鞆呂岐神社」再訪。 「鞆呂岐神社」へは、2012年4月と2016年1月に参拝してるので3度目に成りますが、2012年の時は雨の中一之鳥居をくぐった処で拝殿を仰ぎ見ただけ、2016年の時は19時少し前辺り1月の事ですでに夕闇が境内を覆っていましたが、新年2日の事で参拝者もチラホラ来られてて淡い灯篭に導かれてお詣り。 と言う事で、ゆっくりお詣りしたのは今回が初めて感が有り結構新鮮でした。 社伝によると創建は淳和天皇の 861年(貞観3年)、淀川河川流域の平野が広がっていたこの地に堤が何か所か築かれ耕作可能地が広がり人々の営みが豊かに成り地元有志の神社建立の勧請により「水無瀬神宮」よ…
日本三大龍穴の1つと言われているらしい。「吉祥龍穴」室生龍穴神社の奥宮になります。室生龍穴神社を出て左、室生寺とは逆の方へ県道28号を進むと左手に「吉兆龍穴」の案内版が見えてきます。室生龍穴神社から車で2,3分、徒歩で20分程です。駐車場は4,5台程度しか置けず、途中の道が狭いらしいという情報があった為、途中の道幅が広く安全そうな路肩に停め、徒歩で行きました。山道なので最初は上り坂になります。蛇行した坂道が続きます。冬だったので歩いて体が温まりました。しばらく歩くと天の岩戸が見えてきました。 <天の岩戸> 手前左側の方が開いていたので、ここに駐車できたのかな。天の岩戸が開いた時を連想させるよう…
ランキング参加中歴史 導入 結局、両統迭立ってなんやねん 両統迭立は何回あったのか 両統迭立は実際何回あったのか(検証) 仁徳天皇の子孫 継体天皇の子孫 欽明天皇の子孫 敏達天皇の子孫 舒明天皇の子孫 桓武天皇の子孫 仁明天皇の子孫 村上天皇の子孫 鳥羽天皇の子孫 後白河天皇の子孫 後鳥羽天皇の子孫 後嵯峨天皇の子孫 光厳天皇の子孫 後水尾天皇の子孫 東山天皇の子孫 光格天皇の子孫 終わりに 参考文献 書籍 webページ等 導入 タイトルの「両統迭立」がまず読めるかって話ですよね そしてその意味はなんやねんって話ですよね 以下、広辞苑第6版より引用 両統迭立(りょうとうてつりつ) 鎌倉後期、大…
平安時代について断片的な知識しかなかったので、 平安時代の出来事を年表にまとめた。 参考 平安前期 平安中期 平安後期 平安時代の文化 悪霊と祈祷の時代 平安時代の出来事 平安前期の出来事 781年 (天応元年) 桓武天皇 即位 794年 (延暦13年) 平安京に遷都 800年(延暦19年) 富士山が噴火 (延暦の大噴火) (805年 (延暦24年) 最澄 が 比叡山延暦寺 を創建 806年 (大同元年) 平城天皇 即位 806年 (大同元年) 空海が 高野山金剛峯寺 を創建 807年 (大同2年) 伊予親王の変 809年 (大同4年)(809年) 嵯峨天皇 即位 810年 (大同5年) 薬子…
「初午」(はつうま)とは、 2月最初の「午の日」のことで、 稲荷神のお祭りが行われる日です。 稲がなることを意味する「稲生りいねなり」から、 五穀豊穣や商売繁盛、家内安全を祈願して、 各地の稲荷神社でお祭りが行われます。 令和6(2024)年の「初午」は2月12日で、 「二の午」は2月24日です。 「初午」とは 由来 縁起物の「しるしの杉」 二の午・三の午 馬に因んだお祭り 火の用心 日本各地の初午祭 稲荷神社の総本社・伏見稲荷大社の初午大祭【京都府】 笠間稲荷神社の初午祭【茨城県】 祐徳稲荷神社の初午祭【佐賀県】 冠稲荷神社の初午大祭【群馬県】 鹿児島神宮の初午祭【鹿児島県】 豊川稲荷東京別…
空海により日本にもたらされた密教の教え。空海はそれに独自の解釈を加え、更に発展させる。彼が打ち立てた真言の理論は、天才が収集・編纂した故に、それ以上の解釈や発展がなかなか進まなかった、と言われているほどである。彼の先進性を示す一端として、「十住心論(じゅうじゅうしんろん)」の障りの部分だけ紹介してみよう。 正確には「秘密曼荼羅十住心論」というこの著作は、そもそもは淳和天皇が各宗派の第一人者に「それぞれの教義を記して提出せよ」と下した命に応え、空海自らが著して提出したものだ。 この著作で空海は、仏教における密教の立ち位置を素人でも分かるように定義している。その定義を表にしたのが、下記の画像である…
当ブログでは天理市内を中心に、上街道沿いの町並みや旧跡をこれまでいくつか紹介してきました。 今回ご紹介する長岳寺は、上街道沿いというよりは「山の辺の道」沿いと言った方が適当かもしれませんね。 奈良県天理市は石上神宮や黒塚古墳、崇神天皇陵といった古代から続く神社や旧跡が数多く残る歴史ある地域ですが、県内の他の旧跡密集地帯とは違って、大規模寺院の空白地域になっています。 というのも、現在の天理市域は明治に起きた廃仏毀釈の動きが奈良県内でも激しかった地域の一つで、江戸時代まで残っていた古刹の多くが神宮寺だったこともあり、内山永久寺をはじめとした歴史ある寺院の殆どが廃寺となってしまったからです。 多く…
『大鏡』は「さいつころ(先だって)雲林院の菩提講にまうでて侍りしかば(聴聞に参った時)、例人(普通の人)よりはこよなう(格段に)年老い、うたてげなる(薄気味悪いような)おきな二人、おうなといきあひて、同じ所に居ぬめり(座が定まった)。「あはれに(まったくもって)同じやうなる者のさまなる」と見侍りしに、これらうち笑ひ見かはして言ふやう、」と、百九十歳の大宅世継と百八十歳の夏山繁樹が嘉祥三年(880)から万寿二年(1025)までの宮廷における藤原家の華々しい歴史を語り交わすのであるが、その舞台となったいまの紫野大徳寺の辺りにあったという雲林院の菩提講には「それなり」の理由があるのであろう。大寺ある…
北見花芽の江戸文学紹介ブログは、この「うきよのおはなし」(本館)と、「浮き憂き江戸文学」(別館)の二体制で運営することになりましたヾ(๑╹◡╹)ノ" というわけで、別館で予告していた、『新御伽婢子』巻三に書かれている、「そうげん火」のお話を読んでいきましょうヾ(๑╹◡╹)ノ" kihimihamame.blog.jp (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 『新御伽婢子《しんおとぎぼうこ》』巻三「野叢火」[天和三(一六八三)年刊、西村市郎右衛門作]※東京大学駒場図書館所蔵。赤字の書入れ等は筆者。国書データベース 【原文】 野叢火《や…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 同じ日本人と言っても、現代の日本国民と昔の日本民族は別人である。 ・ ・ ・ 平安時代とは、頻発する自然災害・疫病・飢饉および藤原氏などの貴族による権力争いという内憂と朝鮮の日本侵略という外患で揺れ動いていた。 天皇と庶民・被差別民の歴史とは、繰り返し襲い来る自然災害・疫病・飢饉などに耐えて生き抜いてきた日本民族の歴史であった。 ・ ・ ・ 戦後民主主義教育におけるマルクス主義史観とキリスト教史観の歴史教育はウソが多い。 ・ ・ ・ 藤原氏・源氏・北条氏・足利氏・豊臣氏・徳川氏など…
Seesaaブログからのつづき 金期気大神による、イスラエルの夢神行二段目(御陵神行) 五十番 淳和天皇御陵 謹みまして申し上げます。 淳和天皇御陵に金期気大神お出ましになられまして、イスラエルの夢神行お務めをいただきました。お立ち会い致しましてご報告申し上げます。仕組みメンバーでございます。 金期気大神、お出迎え致しましたたくさんの神々と共に私共にご挨拶いただきまして、お立ち会いの御礼を申してくださいました。私共は頭(こうべ)下げまして、良きお務めとなられまするを祈念致しまして、御神座へお勧め致しました。金期気大神頭(こうべ)下げまして、神々と共に御神座へお進みになられました。御陵の奥高くに…
(5)『怪談牡丹燈篭』 『怪談阿三の森』をより洗練させ、完成させたのが『怪談牡丹燈篭』。『阿三の森』は円朝作ではないと言われるが、その完成形である『牡丹燈篭』は紛れもなく円朝の作品。円朝はお露と新三郎の悲話に加え、お露の父飯島平左衛門とお国、新三郎が幽霊に取り殺される原因をつくった伴蔵とお峰夫婦を登場させ、因縁が複雑に絡み合う落語に仕立て上げている。原話は中国の「牡丹燈記」とされている。落語の粗筋を述べるのは何とも野暮なことだが、およそ次のようなシナリオである(円朝の原作の文章を実際に味わってみたい方はhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000989/files/257…
やっと三峯神社近くの展望台まできました。奥宮遥拝殿と呼ばれているところのようです。 少し歩くと最初の鳥居がでてきます。奥に随神門がみえますね。 立派な随神門です。表参道からここを通るのが古来の正参道らしいです。三峯神社のホームページによると、江戸中期、神仏混淆の時代に仁王門として建立され、明治の人物分離令により仁王像を撤去し随神門となったそうです。 この両脇に仁王像が昔あったんですね。 この随神門を抜けてしばらく雰囲気のある参道を歩きます。 階段のぼって青銅鳥居を抜けると、拝殿です。寛政12年(1800年)の建立だそうです。とてもカラフルで細かい細工がたくさんあり、見ごたえがあります。 このカ…
秋篠宮さま58歳 皇族減少「活動見直しも」 産経新聞、11/30(木) 0:09配信 秋篠宮さまは30日、58歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、赤坂御用地の赤坂東邸(東京都港区)で記者会見し、皇族数の減少が進む中での皇室の活動について、「何らかの見直しを行うということは必要になってくるのではないか」との認識を示された。 秋篠宮さまは会見で、女性皇族が結婚で皇室を離れる現在の制度下において、皇族数の減少は「必然的」とご指摘。皇族が担う総裁職などについて、「引き継ぐことというのは難しくなってきてしまいます」と述べ、引き継ぐべきでないものもあると言及された。ただ、公的活動の見直しは皇族主導ではな…