陶芸家。本名は象二。大正9年在日中のバーナード・リーチの誘いにより渡英、コーンウォールのセント・アイヴスで作陶生活に入り、ロンドンで第一回個展を開催。13年帰国。のち栃木県益子に居を定めた。15年柳宗悦、河井寛次郎らと民芸運動を推進、昭和10年日本民芸館の設立準備に入り、37年柳のあとを継いで日本民芸館館長に就任した。こ
原田マハ『板上に咲く』(audible ORIGINAL)を聴き終わった。 原田マハの3年ぶりの長編大作だ。 板上に咲く MUNAKATA: Beyond Van Gogh (幻冬舎単行本) 作者:原田マハ 幻冬舎 Amazon 「わだば、ゴッホになる」との目標を持ち、西洋画から日本の伝統の木版画にたどり着き、「板画」に到達した棟方志功を妻・チヤの目から描いた作品。板画の発想は、チヤが毎日使う、まな板だった。 「神様、仏様、ゴッホ様」とゴッホをあがめる棟方志功は、ゴッホにはならずに、あるいはゴッホを超えて、世界の棟方になった。 棟方志功は苦節の後に、展覧会場でもめているところを3人に問われ、持…
民藝とは 民藝とは、名もなき職人の手によって生み出された、日常の生活道具のことです。民藝の美しさは、その素朴さや温かみ、そして使いやすさの中にあります。民藝は、論理や合理性よりも、身体性や感覚を重視しています。それは、民藝が、人々の生活に根ざしたものであるからです。民藝は、人々の生活を豊かにし、人々の心を癒す力を持っています。 民藝の定義
「ハングルへの旅」 茨木のり子 茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」が大好きで詩集も持ってるほどだったけれど、エッセイは初めて。韓国への旅を予定していたこともあり、古本屋の本棚でこの本が私を呼んでいるような気がして手に取った。 読み進めていくと、のり子さんは私の祖母と同い年であることが判明した。寅年。より身近に感じる。大正時代の終わりに生まれ、戦争を生きた人。 それなのに、昨日書かれたのかと思うほどユーモラスで若々しい文章に惚れ惚れした。書かれたのはきっと昭和の最後あたりだけれど、ちっとも古さを感じない。品と教養に満ちている。 柳宗悦や浜田庄司など民藝運動をしていた方の名前がポンポンと出て…
今日は「濱田庄司」のものが時間差20分で二点届いた 最初の大きな段ボール箱には角皿が入っていた ヤフオクの呼称では『鉄絵四方皿』となっている 幅300mm 高さ70mm だから角皿としてはほとんど最大級にちかい この角形状皿はもう一回り小型のものを濱田の高弟 島岡達三が 得意として良品を多数つくっている これは大ぶりの尺皿などで濱田が見せた見事な流し掛けを 柿釉を底にその上から 独特な緑釉を施したもので この大きく見事な角皿は ぼくの目には逸品に映る 意外な意見に聞こえるかもしれないが濱田庄司の作物は繊細である 偶然をかなり自在に操れる闊達な繊細さというべきかもしれない 私見ではむしろ島岡達三…
前回の最終地JR常磐線友部駅から出発! その前に始発の電車に乗って、山手線で日暮里駅に、この間で気づいたことはスーツケース持った人が多かったことだ! 途中大きなスーツケースを2つも持って階段を上がろうとしている女性が出会いました。見るも見かねて1個持って階段の上まで上がってあげたが、もうひとつはあがられたのだろうか??? 日暮里駅(京成線で成田への乗換) おいらは常磐線で「友部駅」に 笠間って 若いころから益子と同じように良く出かけていた。(同級生が陶芸家になると云って、よく益子に行っていた。彼の師匠は元益子での陶芸家で、その関係か?仲間の窯を手伝いに行っていたらしい) その彼とやはり同級生の…
1983年3月、永田書房から刊行された濱川博(1923~)のエッセイ集。 目次 Ⅰ 棟方志功 荒魂を呼ぶ日本の魂 津田青楓 逆説の懶哲学 北村西望 ある敗戦秘話 浜田庄司 リーチとの友情 川端康成 安らかなデスマスク 雨田光平 幻想の三好達治箏 大木惇夫 天性の詩の童神 金子光晴 思い出の長崎の旅 大熊信行 「国家悪」をえぐる 五島美代子 歌道に生命かける 曽宮一念 人生の達人の処女詩集 上林曉 文学の鬼 美土路昌一 若山牧水への秘められた友情 Ⅱ 谷崎潤一郎と吉井勇 内藤濯の遺歌集 三好達治と三国 土岐善麿の老春の歌 土岐さんと楚人冠 土岐善麿と折口信夫 土岐さんの死 生きることが専門 浅野…
読んだ。 #サンカの民と被差別の世界 日本人のこころ中国・関東 五木寛之こころの新書6 #五木寛之 ・海を住処とする「家船(えぶね)」の人びと ・瀬戸内海一帯には浄土真宗の寺や門徒が大変多い。その理由は、海の民である漁民が、陸の民である町衆や農民からは一段低く見られ、蔑視されていたということに関係があるらしい。 ・日蓮今生には貧窮下賤の者と生まれ、旃陀羅(せんだら)が家より出たり 『佐渡御書』 ・律令制の時代には、国、郡、郷、里という制度ができ、それらはすべて記録されて残っている。しかし、瀬戸内海の島々の多くはそのなかにはいっていないというのである。 海の民がもっとも多く存在し、もっとも海に開…
こんにちは、みなさんお元気ですか? 少し古い話で恐縮ですが、ここ茨城県筑西市にある板谷波山記念館で、今年(令和5年)3月まで開催されていた所蔵品展「夫婦窯 波山さんとまるさん」に行ってきたので、ご報告しておきます↓ こちらが、記念館入り口↓ 以下、全ての解説文は板谷波山記念館によるものです。 ごあいさつ 陶芸家・板谷波山(本名「嘉七 かしち」)は、1872(明治5)年に、下館藩の御用商人であった板谷家の三男六女の末子として誕生しました。幼い頃からやきものに興味を抱き、東京美術学校の彫刻科を卒業後、教員として赴任した石川県工業学校で本格的な陶芸の研究に勤しみます。その後、東京・田端に磁器窯を備え…