80年代のプロ野球、広島東洋カープの選手。本名「津田恒美」。1985年より、現在の「津田恒実」に登録名を変更した。
通称「炎のストッパー」、愛称「ツネゴン」
右投右打、ポジションは投手。背番号は15→14番。
1960年8月1日生まれ、1993年7月20日没(享年32歳)、山口県出身
南陽工業高校で1976年センバツに出場。
卒業後、協和発酵に進む。
広島市民球場には功績を称え、プレートが飾られている。
また、母校には顕彰碑が建てられた。
座右の銘であった「弱気は最大の敵」という言葉に励まされた日本人は数多いことだろう。
津田は1984年、バファローズより移籍してきた森脇浩司と出会う。同年齢の2人はいつしか信頼できる仲となっていた。移籍後も交流は続き、1991年に発病の際にも、試合が終わると毎日のように津田の看病を行っていた。
1992年、カープより戦力外として扱われた津田に、森脇は「復帰したらホークスに来い」と励ました。しかし、1993年にその願いも叶わぬまま逝去する。森脇は引退する1996年に、最後の仕事として津田の息子を福岡ドームの始球式に招待した。
最後のストライク―津田恒美と生きた2年3カ月 (幻冬舎文庫)
もう一度、投げたかった―炎のストッパー津田恒美最後の闘い (幻冬舎文庫)