奈良時代後期、光明皇太后によって奈良の東大寺正倉院に収められた亡き聖武法皇ゆかりの品々の目録。全部で5種類あるが『国家珍宝帳』がそれなりに有名。 現在も正倉院で保管されているがたまにしか公開されない。
当時はまだ律令制が機能しており天皇御璽は重要なものだったのだが、この書類には紫微中台の人員の署名と共に御璽がポンポン捺印されており、御璽は皇太后の手にあったのではないかとの説がある。
・天平勝宝1年(749) 1. 聖武太上天皇は行基から菩薩戒を受けて出家、「太上天皇沙弥勝満」を自称した。(『続日本紀』) ※天皇経験者の出家は初であり、天武天皇が現人神としての像を固めた天皇のうえに、仏を位置づけたことになる(渡辺晃宏『平城京と木簡の世紀』)。 ・天平勝宝1年(749) 2. 陸奥国から金が産出したことが報告された。(『続日本紀』) ・天平勝宝1年(749) 4. 聖武天皇は東大寺に行幸し、自らを「三宝の奴の天皇」として詔を発した。(『続日本紀』) ※百官の前で、仏教と天皇の関係性が述べられた形となった(倉本一宏『はじめての日本古代史』)。 天平勝宝1年(749) 7.2 聖…