?〜195年
中国の後漢末期の武将で政治家。字は公偉。
朝廷に仕えていたが長安で憤死。
中国後漢の人物(? - 195年)。会稽郡上虞県の人。字(あざな)は公偉。『後漢書』に立伝されている。
後漢の後期に軍人として頭角を現した人物で、178年には交趾での大規模な反乱を鎮圧した。
184年、黄巾の乱が勃発すると、皇甫嵩らと協力して潁川の黄巾軍を率いる波才を破り、さらに張曼成亡き後も指導者を代えて抵抗を続けていた南陽の黄巾軍を破った。このときに朱儁の下で活躍したのが孫堅である。
功績を認められて高官に上るが、董卓が政権を握るようになるとこれと対立し、長安に遷都しようとする董卓に抵抗して挙兵をして戦った。
後に董卓が滅亡すると、長安からの勧めに従い入朝し、三公の太尉までに上るが、李傕と郭シ(シはさんずいに「巳」)の対立に巻き込まれ捕虜となり、恥辱を感じて憤死した。