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木村昌福

(一般)
きむらまさとみ

第二次世界大戦期の大日本帝国海軍軍人。最終階級は中将。
静岡県出身。
生没:1891年12月6日〜1960年2月14日

あだ名は「ショーフク」、トレードマークはカイゼル髭。海軍兵学校生徒の頃からそのおおらかな性格で親しまれ、指揮官としては人望に篤く、この頃の軍人としては珍しく人命尊重を良しとする軍人であった。
海軍兵学校(41期)での卒業席次は末席に近かったが、水雷艇や駆逐艦など小型艦艇乗り組みを中心に着実に経験を積み、実務経験では定評があった。
奇跡の成功と言われるキスカ島守備隊の撤収作戦の指揮官として知られる。

略歴

  • 1913年 海軍兵学校を118人中107番の成績で卒業
  • 1918年7月 シベリア出兵に中尉として戦艦「三笠」乗組として参加。
  • 1923年6月 水雷艇「鴎」艇長(大尉)として関東大震災の救助活動に従事。
  • 1939年1月 特設水上機母艦「香久丸」特務艦長(大佐)として海南島攻略作戦に参加。*1
  • 1941年12月 対英米蘭開戦。重巡洋艦「鈴谷」艦長としてマレー作戦に参加。
  • 1942年2月 蘭印作戦に参加。
  • 1942年4月 インド洋作戦に参加。*2
  • 1942年6月 ミッドウェー作戦に参加。
  • 1942年8月 第2次ソロモン海戦に参加
  • 1942年10月 南太平洋海戦に参加
  • 1942年11月 第3次ソロモン海戦に参加(同月1日付けで少将)。
  • 1943年3月 第3水雷戦隊司令官として、81号作戦(東部ニューギニアへの増援作戦)の陸軍の輸送船団護衛を指揮。敵航空機の空襲を危ぶまれたものの、陸軍側の強い要請によって実施。ダンピール海峡にて米豪連合軍の空襲により旗艦沈没、自身も重傷を負う。
  • 1943年7月 第1水雷戦隊司令官として、アリューシャン列島・キスカ島守備隊の撤収作戦を指揮。霧などによる悪天候やアメリカ軍による攻撃の隙をつき、巧みな判断で無事撤収に成功した。
  • 1944年10月 捷号作戦(いわゆるレイテ海戦)に参加。
  • 1944年12月 第2水雷戦隊司令官として、礼号作戦を指揮。*3
  • 1945年11月 予備役編入。

木村昌福を扱った作品

戦場の将器 木村昌福―連合艦隊・名指揮官の生涯 (光人社NF文庫)

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キスカ島 奇跡の撤退―木村昌福中将の生涯 (新潮文庫)

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太平洋奇跡の作戦 キスカ [DVD]

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*1:この時、海底に落ちたドラム缶より漏れた石油が海面に浮かんでいるのを、「新たな油田を発見」と勘違いし驚喜して電報を司令部に発信してしまうというエピソードがある。

*2:べンガル湾での通商破壊戦で、非戦闘員が輸送船から退去したのを見届けてから沈めたという人道的行為が海外で高く評価されている。

*3:太平洋戦線における、日本海軍最後の勝利と言われる。

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