明治期に作られた文語定型詩。1882年(明治15)刊行の井上哲次郎・矢田部良吉・外山正一の『新体詩抄』に始まる。それ以前は、詩といえば漢詩を意味したが、西洋のpoetryに相当する日本の新しい詩歌として作られた。
筆で所感を記す事も「筆まめ」な性質なので暇さえあれば何か書いてみたくなる。 明治三十六年十二月頃、大阪新報(時事新報と姉妹関係の新聞)で翌三十七年の辰年に因んだ御伽話の懸賞募集があった。早速応募した所当選して一月末の新聞紙上で発表された。 題名は「龍の天上」という題で一匹の龍次郎という龍の子供が乙姫様に天上したいから暇を下さいと頼んだが年が若いからと許されなかったので友達の鰐と相談して東京へ出て一軒の紙凧屋へ行き主人に頼み込み自分は秘術を使い紙凧に貼りついた。そして元旦に太郎君に買い取られた。それを知らない太郎君は喜んでそれを揚げた所他の物より高く揚がって行くので大喜びだった。一方龍の龍次郎君…
子は親を映す鏡というが、下村家の父子ほど、この諺を体現した例というのも珍しい。 海南の父、房次郎も、倅に負けず劣らずの、熱烈極まる海外志向の持ち主だった。 (中央が下村房次郎) この人の興味は専ら北方、日露貿易の開拓にこそ集中し、両国の和親実現のため、あらゆる骨折りを惜しまなかった。 明治三十四年にはなんと、みずから「平和の使者」となり、シベリアの曠野を横切ってサンクトペテルブルグに乗り込んでいる。誰に命ぜられたわけでもなく、自腹を切って切って切りまくってまで出立したこの旅は、しかし例年にない悪天候やそれに伴う毒虫・病魔の襲来により、ほとんど死ぬような苦しみを嘗め、往路だけでも五十日を費やすと…
英語学習のための対訳本を生成するにあたって、日本語の小説を英語に翻訳して、その英文を学ぶというのはどうだろうか。実際に作ってみて使用感を確かめてみよう。
(2024/3/25) 『日本怪異妖怪事典 九州・沖縄』 朝里樹(監修)、闇の中のジェイ(著) 笠間書院 2023/9/30 <鬼八 (きはち)> ・走健(はせたける)(または「はしりたける」と読む)、鬼八法師、鬼八三千王とも呼ばれる。鬼八は熊本県阿蘇の豪士とも、宮崎県高千穂蘭の里の部族の長、宮崎県二上山乳ヶ窟(ちちがいわや)を根城にしていた魔性の者ともされる。 ・熊本県では次のように伝えられている。 阿蘇大明神こと健磐竜命(たけいわたつのみこと)は鬼八という豪傑を家来にしていた。健磐竜命は弓の名人であり、弓を射ることを楽しみにしていた。鬼八は空を駆けるように足が速く、また怪力を有していて、健…
何て読む? 昭和16年(1941) 1月1日、「風なく晴れてあたたかなり。炭もガスも乏しければ湯婆子を抱き寝床の中に一日をおくりぬ。昼は昨夜金兵衛の主人より貰いうけたる餅を焼き夕は麺麭と林檎とに飢えをしのぐ。思えば四畳半の女中部屋に自炊のくらしをなしてより早くも四年の歳月を過ごしたり。始めは物好きにてなせし事なれど去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚だしく世の中遂に一変せし今日になりてみれば、むさくるしくまた不便なる自炊の生活その折々の感慨に適応し今はなかなか改めがたきまで嬉しき心地のせらるる事多くなり行けり。時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣いながら崖道づたい谷町の横町に行き…
弥次喜多道中記 (1938 日活 マキノ正博監督) 昭和15年(1940) 11月1日、正午ちかく久保藤子という女が訪ねてくる。先月中蛎殻町にある怪しい周旋屋野口というものの一室で知り合いになったのである。その語るところを聞くと年は三十で三つになる娘がいる。三年ほど前に夫に死に別れ、深川三好町で材木屋を営む叔父の厄介になり、丸の内鉄道省文書課の雇となり毎月40円の給料をもらっている。しかし生活費もおいおい高くなり娘の将来も心配になったので二三月前から同じ省内の女事務員で心安いものの秘密をきき、かつまたその勧告で日陰の商売をするようになった。三四年の間にせいぜい稼いで貯金をし、おでん屋か煙草屋の…
仲よし三国 昭和15年(1940) 9月3日、寺島町の知った家を訪ねて帰る。この里も昨日から昼遊びの客を入れない。市中のカフェーと同じく夕五時から窓を明け泊り客は朝八時かぎり追い返すことになったという。広小路の屋台店もこの夜は数えるばかりに少なくなっていた。 9月5日、明夜からまたまた灯火禁止になると聞いたので夕餉してのち浅草オペラ館楽屋を訪ねる。帰途夜半の空を仰ぐと星斗森然銀河の影がとてもあざやかであった。市中ネオンサインの光なく街頭の灯火も今年に入ってにわかにその数を減らしたためであろう。 9月8日、物買いに銀座に行く。数年前おりおり見かけた車夫あがりの悪漢がまたもや松坂屋の前あたりを徘徊…
以前にも引用しました、Raj Lakhi SEN氏の博士論文『明治文学作品を養子法・制度から読み直す』の第七章に、曙須賀子の新体詩「こしのみぞれ」への言及がありました。 作者の曙須賀子は有名な木村曙(曙女史)の別名義ではないかと、SEN氏は推測なさっています。木村曙は一八九〇年に若くして亡くなっていますが、母親や親友が遺稿集を出してもおり、新たに発見された遺稿が 『文芸倶楽部 臨時増刊閨秀小説』に発表されたとしても不思議はありません。 「アイヌの家に生れたる」女性の語り手が、早く両親を失い、「酒と賭とに日をおくる 世に恐ろしき日本人(「しゃも」)」に虐待されて育ち、現在は娼妓であるらしい境遇を…
大岡昇平(編)『中原中也詩集』岩波文庫、1981年 これを読んだ。良さが分からなかった。 北川透『中原中也論集成』思潮社、2007年 困ったのでこれを流し読んだ。おおむね説得的な議論だった。だが1935年生まれの北川透が、なぜ1968-2007年の間に700ページ分もの中原中也論を書いたのか、著者が中也のどこに惹かれたのか、いまいち分からなかった。 何かの詩の良いと思うことと、何かの詩を良しとする人がどういう感性・理由を持っているか理解することは、別のことだ。私の場合前者の守備範囲がどうも狭いから、後者を理詰めで広げたいと考えている。しかしここで、人間理解力──それがあったら近代小説もっと読ん…
1979年9月、丘書房から刊行された山田晶(1922~2008)の第1詩集。著者は諏訪市生まれ。刊行時の著者の職業は京都大学文学部長、住所は京都市。 或日、疲れたからだを終電車の暗い座席の片隅に寄せかけて、うとうとしていた私の首筋に、突然カサリとかすかな音がして、小さな霊が取り付きました。それは可愛がっていたネコの霊であったか、それとも講堂でいじめられていたフクロウの霊であったか、今ではさだかに憶えていません。とにかく何か小さな霊がカサリとかすかな音をたてて、私の首筋に取り付いたことは確かです。 それと同時に私は、バネ仕掛の人形のようにとび上がり、あわててかばんの中からありあわせの紙切れをつか…
1月20日、金曜日は寝過ごし蟄居していたので土曜日こそと都内に出る。まずは本部会館での愛書会。ザーッと急いで回って2冊ほど。 三上於菟吉「明治大正世界実話全集2」(平凡社)昭和4年5月20日函300円 川端康成「古都」(新潮社)昭和58年8月20日17刷函帯200円 実話全集は三上於菟吉「悲恋情死実話」の巻で近松ものの紹介のほか明治以降の有名な情死事件を物語風に描いている。川端のはちょっと必要あって探していたものだが、本当は初版が欲しい。これは80年代になって初刊時の造本で重版したもののようだ。で、踵を返して一路五反田へ向かう。 マクラオド片山廣子訳「かなしき女王」(第一書房)大正14年3月1…
どうやら私たちには語りえぬ領域がある。それは性愛、死、精神疾患、子供のような領域だ。だからといってこういう事柄についてやりたい放題だと考えているわけではない。 精神疾患についてまず書く。 狩猟社会ではトップが二人いるのが普通だ。これは世界的な事だ。一人は実務の責任者でもうひとりはシャーマンだ。日本の場合(日本といっても複数の文化が共存しているのではあるが)シャーマンは女性がやることが多いようだ。 邪馬台国の卑弥呼もシャーマン。(邪馬台国が大和朝廷につながるのかどうかは私にはわからない)。 また古事記と日本書紀で物語は違うのだがヤマトタケルの叔母に当たる倭姫命(やまとひめのみこと)は伊勢神宮との…
* 大江健三郎と柳田国男 1979年に発表された大江健三郎氏の代表作の一つである『同時代ゲーム』は日本における本格的なポストモダン小説の先駆けとして評価される一方で、批評家の小林秀雄氏が「二ページでやめた」と大江氏自身が自虐的に伝えるほどに極めて難解で複雑怪奇な作品として知られています。 同時代ゲーム(新潮文庫) 作者:大江 健三郎 新潮社 Amazon 同作はメキシコに滞在中の歴史家である「僕=露己」が双子の妹である「露巳」に宛てて書き始めた「第一の手紙」から「第六の手紙」までが、あたかも六つの章のように並んでいます。この六通の手紙は「僕」が幼い頃から「父=神主」に教えられてきた故郷の《村=…
口語自由詩があたりまえになってゆく過程で、方言をその口語自由詩に反映されてゆくことも一部試みられてくるのですが、ただそれを「朗読」する場合に実際どのように発音発声していたのか、まして標準語の話しことばと混在しているような作品の場合、とかいろいろと…… 散文表現の小説などで方言が反映されてくるのは、会話体が挿入されてきたりであるわけですが、同時に「戯曲」という形式が実はそれら話しことばの反映に案外大きな影響を果たしていたらしく、しかもそれが翻訳の戯曲から、というあたりで、詩と戯曲が同じハコ扱いだったり、とか…… 話し言葉を書き言葉の中に「発見」してゆくことで、それを朗読したり口ずさんだりするのを…
歌は、詩よりもずっと劇に近い。 (サイモン・フリス『サウンドの力』1981年) 全ての詩は劇をめざし、全ての劇は詩をめざす。 (T. S. エリオット『批評選集』1932年) 「劇」に関する2つの言及をきっかけとした、5つの断片・エッセイ。 劇としてのSCP 劇としての歌 劇としてのメアリー・スー 劇としての詩 劇としてのSS
抜群に面白い日本詩史の本があったので、読書メモ代わりに紹介しようと思う。 www.amazon.co.jp 亀井俊介『日本近代詩の成立』南雲堂、2016年 亀井俊介(1932-2023年)は『アメリカン・ヒーローの系譜』や『対訳 ディキンソン詩集』などで知られる、比較文学・アメリカ文学研究者だ。今回取り上げる『日本近代史の成立』は、彼が本業の傍らで書いていた日本近代詩を扱う論考(最古の初出は1957年)をまとめ、大幅に加筆修正を加えたものになる。 84歳という高齢で上梓された本文530ページもある厚い本だが、明晰かつ信頼できる内容で、するする読めて面白い。語り口・文体のちょうどよさ、テクスト読…
現代詩の夜明けと言われる『月に吠える』は萩原朔太郎の第一歌集。1917(大正6)年、感情詩社・白日社出版部共刊で、56編を収録。一方、「海ゆかば」は信時潔が昭和12(1937)年に作曲、歌詞は大伴家持の『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」から抜粋。 文語定型詩から口語自由詩へ、短歌から新体詩へ、つまり、文語から口語へと日本語が変わることを示すと言われても、そして、文語は「書き言葉」、口語は「話し言葉」とまとめられても、二つの作品はそんな見かけの区別を謂われなき差別に変えてしまう。『月に吠える』の「ありあけ」の一部と「海ゆかば」の一部を引用してみよう。 ながい疾患のいたみから、 その顔はくもの…