1996年12月20日発行 1年間、良澤は玄白、淳庵、甫周と共に翻訳作業を続けた。オランダ語の発音のままに日本文字にしたものが多かったが次第に神経など大胆な訳し方をするようにもなり、随所に誤訳は生じたが、腑分けの作業とも照らし合わせて総体的には殆ど正しく大意は翻訳されていった。玄白は翻訳を完成し出版することを焦り、その性急な性格は事業を推進させた。1年半で基本的翻訳は終了し整理段階に入った。玄白は翻訳書に先駆けて解体図だけを報帖(ひきふだ)のように世に示して医家の関心を引くことを提案し、禁令に触れる危険もあるため責任者は玄白と淳庵とした。人体図は解体新書との名称にすることが決まり、刊行したとこ…