朝日放送顧問。元・朝日放送ドラマプロデューサー。京都大学卒。
現在は花園大学客員教授も務める。
1931年11月9日生まれ。大阪府出身。
必殺シリーズを世に送り出した人物としてドラマ業界に広く名前を知られ、常に奇抜さと時代の先端を捉え続けた制作姿勢から「ドラマの神様」と評されたほどの人物である。
2014年8月13日永眠。
「今しか、それに、これしかないんや」。一九七二年夏。朝日放送プロデューサー山内久司=当時(40)、尼崎市=は、受話器を手に言い張った。「こんな時代劇をつくってはいけない」という当時の系列キー局・TBS側の猛烈なクレームにがんとして譲らない。当時、土曜夜九時台は時代劇「木枯し紋次郎」(フジテレビ)の独壇場。が、主演の中村敦夫のけがで同年四月から半年間、代役となっていた。
「紋次郎より新しい時代劇をつくり視聴者を奪うチャンスなんや」。TBSを強引に説き伏せた山内は、三話を同時に撮影させ、わずか二カ月で放送開始にこぎ着ける。その後二十年にわたって続く「必殺シリーズ」の誕生である。
2008年現在、「週刊朝日」誌上にて横澤彪氏*1とのリレー連載による「必殺!テレビざんげ人」(1985〜不明)の山内氏連載分をまとめた「必殺!テレビ仕事人」などの著書が発売されている。
*1:当時のフジテレビプロデューサー。現在は鎌倉女子大学児童学部教授