天池京二は、元国鉄職員(駅長)。元陸軍軍曹(火砲隊長)。農業者(専業・兼業農家・畜産・農耕)。工業(自営業)補佐。農業委員。株主(後藤孵卵場)。
加治田村出身。高等学校卒業後、国鉄職員となる。太平洋戦争では、志願し陸軍学校で学び、東南アジア方面へ出兵、大砲隊長として活躍。
その後、兄が病死した為本国に戻り、恋人と別れて後家として家を継ぐ(天池むめ)。本土決戦(決号作戦)の為、房総半島の守備隊長として任に就く。その後、終戦となる(弟(天池太郎)は海軍(沖縄特高・戦艦大和部隊)で戦死)。 終戦後、食糧事情を考え、農業者となり、地域に貢献する。農業委員や、地区役員を歴任する。
子の[[天池正治が工業創業(天池化学)したのを補佐した。その後、農業の働きが認められ県知事賞を受賞した。
岐阜県知事賞
朝は必ず明朝よりラジオ体操を行い、仏壇でお経を唱え亡くなるまで続けた。
地域を愛し、地産池消を重要視し、農業に対してとても厳しく教育して地域と地区をまとめた(行事を重要視し、祭りや氏子・檀家等には必ず参加し、取り締まった)。
国(内閣総理大臣)から第二次世界大戦参加の慰労賞状を亡くなるまで飾っていた。
家名と、家族(兄弟姉妹)を守り、現代に繋がっている(天池京太の一字は、京二の字を用いる)。又、農業の意志は天池治彦に受継がれる。