前記事にて四隅突出型墳丘墓が出現、出雲の山陰や瀬戸内、北陸方面とのつながりを示した。本記事では主に播磨国を舞台とし、日本書紀にみられるアメノヒボコ、播磨国風土記にみられる伊和大神を紹介する。越の国が新羅派である理由がわかる。■播磨国風土記奈良時代初期に編纂された。播磨国は山陽道に位置、現在の兵庫県南西部にあたる。■アメノヒボコ「播磨国風土記」では渡来神、「古事記」では「天之日矛(あめのひぼこ)」、「日本書紀」では「天日槍(あめのひぼこ)」と表記される。「日本書紀」の垂仁天皇三年三月の箇所にて、新羅の王の子、天日槍が帰って来たと記されている。その際、次の七物(ななくさ)を但馬国に納め、神宝とした…