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大岡昇平

(読書)
おおおかしょうへい

小説家、評論家、翻訳家(1909年-1988年)。

略歴と作風について

東京生まれで、鎌倉に一時期住んでいた時期を除けば、東京で最晩年まで暮らす。幼少年期はまだ「郊外」だったころの渋谷駅周辺で過ごす。このころの思い出は、自伝的長篇である『幼年』と『少年』に詳細に描かれている。旧制成城高校時代は小林秀雄や中原中也とさかんに交流する。この時期に大岡の文学的感受性の基礎が築かれたといってもいいだろう。彼は政治的には正反対の立場にある小林や、私生活で多大な迷惑をこうむった中原に対する畏敬の念を、生涯にわたって失うことがなかった。高校卒業後は京都大学文学部仏文科に進学し、スタンダールを専攻、翻訳も手掛ける。大学卒業後は一般企業に就職し、一度は文学の世界から遠ざかる。

戦争体験

しかし太平洋戦争末期に応召されてフィリピンに配属される。このときの体験をもとにした『俘虜記』『野火』が評価され(『俘虜記』はほぼ実体験に即しているが、『野火』は虚構性が強い)、作家としての地位を確立する。この傾向の作品の集大成ともいえる大長篇『レイテ戦記』を出版。この業績を評価されて、1971年に芸術院会員に推薦されるが辞退する。以上のエピソードからも判るように、狭い意味での「左翼」とは一線を劃していたものの、つねに反体制・反戦・反核の立場から発言し続けた。1971年に『レイテ戦記』の完結を俟って芸術院会員に推薦されるが、「戦争中に捕虜になったという過去があるので、天皇陛下に頭を下げたり、国から年金をもらう気にはなれない」と発言、大きな波紋を起こす。だが、たとえば保守派とされる福田恆存とは深い交友を続けていた。

作風

推理小説の熱心なファンで、みずからも何作か推理小説を発表する。なかでも『事件』はTVドラマや映画になったほど人気を呼び、1978年度の日本推理作家協会賞を受賞した。このときは芸術院会員に推薦されたときとは打って変わって、素直に喜んだという。また最晩年に書かれた日記風のエッセイ『成城だより』(1979年11月から1985年12月まで)はロックや少女漫画といったサブカルチャーから現代数学、そして政治問題や社会問題について積極的に発言し、周囲を驚嘆させる。
昭和天皇が亡くなるほぼ2週間前の1988年12月25日に逝去。昭和天皇が危篤状態になったときには「おいたわしい」と発言し、大岡を「左翼文学者」と規定していた知識人(大江健三郎など)を大いに戸惑わせた)。

主な著作

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