千島列島の北東端に位置し、面積約230平方キロメートル。カムチャッカ半島南端との距離は約10キロ。
元々は千島・樺太交換条約により日本領であったが、1945年8月18日、日本がポツダム宣言をすでに受諾しているにも関わらず、ソビエト連邦の赤軍が侵攻。上陸用舟艇16隻を含む54隻の艦船、総人員約8300人で上陸を図った。
日本軍は樋口季一郎らの決断により反撃。
戦前からのこの方面を重視していたことによる備えも有り、日本軍は局面を優勢に進め、ソ連軍は日本軍より格段に多い死傷者を出したが、最終的に日本軍は本土からの指令を受けて降伏、同島は占領された。
同島を含む千島はそれ以降、ソ連及びそれを継承したロシアの実効支配が続いているが、日本はサンフランシスコ講和条約で千島の領有権を放棄したものの、法的にはその帰属先は決まっていない。