東京築地にある「訓盲院発祥の地」碑からの連想。 明治になってから洋風の建造物が作られていくが、初期の建築には幕末に活躍した人物の名がよく出てくる。 訓盲院の建築は、お雇い英人のジョサイア・コンドルの設計になるが、以下の経過をたどった。 明治8年(1875)5月に、古川正雄・津田仙・中村正直・岸田吟香・ボルシャルトの5人によって、盲人教育のため盲人学校を設立することが決まり、設立主体として「楽善会」を発足させる。 翌9年には、発起人に前島密・小松彰・杉浦譲・山尾庸三が加わっている。 このうち、山尾庸三は、明治元年に英国から帰国し、工部権大丞、工部少輔を歴任し、明治5年に工部大輔に就任していた。す…