North Yemen 1918年にオスマン帝国から独立したイエメン王国(Kingdom of Yemen)と1962年の共和制移行後のイエメン・アラブ共和国 (Yemen Arab Republic)の通称。首都はサヌア。共和制以降後は王制派と1970年まで内戦が続いた。1990年5月22日に南イエメンと統合した。
起床0505、雨。冷蔵庫を開けるとささみチーズフライがある。朝はこれを出そう。キャベツ千切りして用意。あとはトースト、かんきつ、トマトジュース、コーヒー。 ラジオ体操、キッチンリセット。朝シャワー、身支度しながら英会話レッスン。仕事、昼はオートミール雑炊。網戸修理が届く。夫が設置に励む。 夕方まで仕事して今日は師匠と食事。満天星でオムライスとハンバーグのプレート。 私の師匠は物知りだ。大学の准教授だから当然か。イエメンは1990年代に南北統一したとか、昔の北イエメンは北朝鮮と仲良く、北が色々な物資をイエメンに売っていたこととか、モカ港はイエメンにあるんだとか、朝鮮機械工業の話とか、斗山インフラ…
シリアの領事館襲撃に対して、テヘランはどのようなリソースを使うことができるのか? Abbas Juma RT 2 Apr, 2024 17:144月1日、イスラエル空軍はシリアの首都にあるイラン大使館近くの建物を攻撃した。攻撃の結果、領事館の建物は破壊され、イラン・イスラム革命防衛隊(IRGC)部隊の指揮官であるモハマド・レザ・ザヘディ将軍とモハマド・ハディ・ハジ・ラヒミ将軍が殺害された。エブラヒム・ライシ大統領はすでに、「この不当な犯罪は放置されない」と警告している。「シオニストたちは、このような非人道的な行為によって、彼らの邪悪な目的を達成することは決してできないことを知らなければならない…
イエメンで米軍がフーシ派への攻撃を実行したという報道に触れて、思い出すのはイエメンに行った時のことである。 (本記事の内容は、フーシ派とは直接関係はありません) イエメンの南西、山がちな地域にある「タイズ」。 その街は、1918年から1962年まで、「イエメン王国」の首都であった。 1962年、王政が軍事クーデターで倒され「イエメン・アラブ共和国」となり、首都は「サナア(サヌア)」になるが、「イエメン王国」亡命政府との間で1970年まで内戦が続いた。 現在のイエメンは、「イエメン共和国」であり、それは、1990年に「イエメン・アラブ共和国」(北イエメン)、「イエメン人民民主共和国」(南イエメン…
副題は「死者はいかにして数値になったか」。 本書の序章の冒頭では、著者がボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争における死者を調べていて、20万人という数字と10万人という数字が出てきたというエピソードが紹介されています。 死者数というのは戦争の悲惨さを伝えるためのわかりやすいデータではありますが、それが倍近くも食い違っているのです。 特に文民の死者数となると、なかなか正確な数字は出ません。 しかし、実際に何人の兵士が死んだのか? 戦争によってどれだけの文民が犠牲になったのかというのは非常に重要なデータです。 本書はこうした戦争での死者がいかに数えられるようになったのか? 誰が数えているのか? どのよう…
ロシアとウクライナの紛争が長引いて、No more warの声が大きくなっているところに、ハマスがイスラエルを攻撃したというニュースが飛び込んできました。 イスラエルとサウジアラビアが接近していることで立場上焦りを感じているから、とか、今年7月にイスラエルが難民キャンプを攻撃したことを恨んで、とかいろいろ要因が憶測されていますが、すでに1,000人以上の命が奪われました。 仲裁を期待したいアメリカ合衆国(以降米国)ですが、ハマスがアメリカ人を人質にとったことやハマスの攻撃でアメリカ人に死者がでたことで、米国はイスラエル支持を表明し、仲裁が期待できない状態に。 そこにウクライナに戦争をしかけたロ…