一般的には古来の島根県があった風土の伝承のことであり、八束水臣津尊が提唱した「八雲立つ」に同記述がなされている事でも有名。また日本の五つの現存する風土記で唯一完全版として残っている。
特に有名なのは須佐之男命(スサノオノミコト)が八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)を退治した神話である。 またこれを基にした物語や作品、研究論文が多数存在する。
BODYPITKYOTO院長藤崎進一です。 10月4日(水)5日(木) 一万人のお宮奉仕で島根県出雲方面へ清掃ご奉仕に上がります。 10月4日(水)長浜神社⛩出雲風土記の聖地です。 出雲国風土記の冒頭を飾る「国引き神話」の主人公を祀る神社。綱をかけ海のむこうから土地を引き寄せ縫い合わせた国土生成の話。豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に加藤清正等名のある武将の参拝の折の「弓掛の松」が境内にある。「勝負に勝つ神」として広く信仰を集めるようになった。 御祭神:八束水臣津野命 配祀神:布帝耳命・淤美豆奴命 2023年10月4日(水) 長浜神社・島根 一万人のお宮奉仕 (google.com) 10月5日(木)熊…
(2024/3/25) 『日本怪異妖怪事典 九州・沖縄』 朝里樹(監修)、闇の中のジェイ(著) 笠間書院 2023/9/30 <鬼八 (きはち)> ・走健(はせたける)(または「はしりたける」と読む)、鬼八法師、鬼八三千王とも呼ばれる。鬼八は熊本県阿蘇の豪士とも、宮崎県高千穂蘭の里の部族の長、宮崎県二上山乳ヶ窟(ちちがいわや)を根城にしていた魔性の者ともされる。 ・熊本県では次のように伝えられている。 阿蘇大明神こと健磐竜命(たけいわたつのみこと)は鬼八という豪傑を家来にしていた。健磐竜命は弓の名人であり、弓を射ることを楽しみにしていた。鬼八は空を駆けるように足が速く、また怪力を有していて、健…
吉野川と聞いて、どちらの吉野川をイメージしますか? 奈良県内の吉野川と四国の吉野川。 もしかすると「奈良にもあったの?」「えっ、四国にもあるの?」って、生活している場所によって認識が違うかも知れませんね。 下の写真の様に、中央構造線の沿って本州側と四国側共に吉野川が存在しています。 奈良県側の吉野川は三重県の大台ケ原を源流に奈良県内を吉野川。和歌山県に入って紀の川と名を変えます。 どちらも仕事でしか行った事がないので、吉野山辺りの桜が美しかったのと、紀の川ではパラグライダーが盛んであったくらいしか記憶がありませんが… 次に四国側の吉野川。こちらも訪れたのは仕事でしたが、昔は暴れ川として有名だっ…
皆さんは旅行のお土産を買う際に迷われたりしませんか? 魅力的な商品がたくさんあり、どれがお土産に合うのか悩んでしまいますよね。 今回は【島根県のお土産は何が良い?おすすめのお土産品】についてご紹介していきます。 島根県のお土産でお困りの方はぜひ参考にしてくださいね。 島根県のお土産について! 松江市のお土産として外せない!【若草:彩雲堂本店】 アクセス方法 可愛らしいお面をイメージしたお菓子!【どじょう掬いまんじゅう:空港・駅】 アクセス方法 源泉を持ち帰ることができる!【湯薬師広場 たらい湯】 アクセス方法 もらった人も笑顔になる一品!【笑小巻:三松堂】 アクセス方法 大切な方へのお土産に最…
皆さんは玉造温泉に行かれたことありますか? 旅行の目的にもされる温泉が楽しめるスポットであり、周辺には魅力的なスポットがたくさんあるんですよ。 今回は【玉造温泉周辺を観光しよう!おすすめのスポット】についてご紹介していきます。 風情ある街並みと温泉が魅力的ですので、ぜひ一度観光めぐりをされてはいかがでしょうか。 玉造温泉の魅力について! 玉造温泉のシンボルになっている写真スポット!【勾玉橋】 アクセス方法 源泉を持ち帰ることができる!【湯薬師広場 たらい湯】 アクセス方法 縁結びにご利益がある神社!【玉作湯神社】 アクセス方法 日頃の疲れを癒してくれる足湯が魅力的!【姫神広場】 アクセス方法 …
明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 元旦は大人しくする予定ですが 初詣はしたいなと思っています。 出雲地方は神の国と言われているようです。 といっても本当は根の国、いわゆる死後の世界なんですけどね(苦笑)。 黄泉比良坂(黄泉の国の入口)が東出雲にあるくらいですから。 そんなわけであがめる神様も鎮める神様も多くいるため 妙に神社が多いのです。しかも由緒ある神社。 由緒正しいというのは日本唯一の完本として残る 出雲風土記があるので、奈良時代から続く神社がわかるのです。 そういうものがないと正直本当に由緒ある神社かどうか分からないのです。 なんせ神社の由緒って、神社側が好…
『始原のコスモロジー』が到着して、わりと早い段階で写真についての感想をいただいていたが、文章の方は、今になってようやく感想をいただけるようになった。 この本は、ピンホール写真にも特徴があるけれど、やはり文章世界が軸になっているので、少しずつでも文章を読んでいただければ有難い。 この本の中で私が文章で掘り下げようとしているのは、一言で言えば「神話の境界」だ。 現代文明の弊害が様々なところに現れている今日の世界において、神話なんて時代錯誤だと思っている人もいるし、逆に、「現代に神話を取り戻さなければ」と考えている人もいる。 しかし、この取り戻すべき神話が何を指しているのか、明確に答えられる人は少な…
椿(ツバキ)や山茶花(サザンカ)の季節ですね。 上海でもよく見かけます。(山茶花が多めの印象) 椿と山茶花ってよく似ていますが、その見分け方を下記記事から勉強。 主には3点で見分けるそうです。 https://lovegreen.net/gardentree/p67942/ ① 椿(ツバキ):花が散る時に、花首から落ちる山茶花(サザンカ):花が散る時は、花びらが落ちる ② 椿(ツバキ)の開花時期:12月~4月山茶花(サザンカ)の開花時期:10月~12月 ③ 椿(ツバキ):花がやや筒状で立体的で厚みがある山茶花(サザンカ):花がツバキから比べて平面的で薄い この平べったい感じは、山茶花ですね。 …
1)第8段 要旨 兼好は、色欲は人の心を惑わすもすものの中でも一番のもの。という率直な性欲認識を、久米仙人の話を引き合いに述べています。 その「色欲」とか「仙人」など、兼好が使ったことばの背景とか、昔からのことばの中に潜む日本人の感性などを追っかけてみたら、もう一つ「脱俗」ということばにも行き当たりました。 0)前置き 以下の4点を参照しつつ『徒然草』を下手の横好き読解しています。 ①旺文社文庫『現代語訳対照 徒然草』(安良岡康作訳注/1971初版の1980重版版) ②ネット検索 ③『角川古語辞典』(昭和46年改定153版) ④中公新書『兼好法師』(小川剛生著・2017初版の2018第3版) …
<左、宍道湖の夕日 右、宍道湖北岸の佐陀付近> 今回は出雲国で大社と称される2社について言及します。 出雲国には、東部の意宇地方に熊野大社、西部の杵築地方に出雲大社と、一宮が2社鎮座しています。 2011年、出雲大社は60年に一度の遷宮が、伊勢神宮の20年に一度の遷宮と重なり、神社めぐりの国民的一大ブームを招来したのは記憶に新しいところです。遷宮の費用は、「伊勢神宮」の550億円よりは少ないものの、80億円を要したというから、大変な額ですよね。新装なった本殿の千木や破風の「ちゃん塗り」、厚さ1メートルの檜皮葺も実に見事。 現在の出雲では、遷宮も終えて蘇った出雲大社の方がはるかに有名で有力ですが…
第2段をアップするのを漏らしておりました。 1)第2段 要旨 いにしへの聖の政治と現世の政治を対比し、臣民を蔑ろに贅をつくし、尊大な政治を行う輩に深い思慮はないと非難。 藤原師輔(九条殿)や順徳帝の『禁秘抄』などに見られる質素倹約思想を称揚します。 でも、本段に登場した面々をネットの記事などで追っかけてみると、額面通りでないものがあれこれ見えてきます。 0)前置き 以下の4点を参照しつつ『徒然草』を読んでおります。①旺文社文庫『現代語訳対照 徒然草』(安良岡康作訳注/1971初版の1980重版版) ②ネット検索 ③『角川古語辞典』(昭和46年改定153版)④中公新書『兼好法師』(小川剛生著・2…
今回は「ハラシ」と「ハシ」をテーマに古代の事象を探求する。野見宿禰を取り上げ、渡来の時代を推定する。次の流れで紹介していく。 ・波斯(はし)はペルシアの音写・ハシとは大秦・ローマ・波斯由来の人びとの石工技術・ヘブライ語で大工はハラシ・古墳から出土する大工道具のヤリガンナ・野見宿禰(のみすくね)・野見宿禰と相撲・野見宿禰の子孫は土師氏・箸墓古墳と纏向型前方後円墳・野見宿禰はいつ日本に渡来したか・まとめ ■波斯(はし)はペルシアの音写波斯は現在のイランをあらわす古い漢字での名称で古代のペルシャをさす。なおササーン朝ペルシアは226年~651年の王朝。 ■ハシは大秦・ローマキリスト教ネストリウス派が…
『おまんた』という名前のお菓子があると噂には聞いていたのだが、この度やっと独占販売しているという新潟県糸魚川市を訪れることが出来た。 しかしおまんた…また風変りな名前ではないか。どんなお菓子なのか姿かたちも想像できない。フフフ。これはお目にかかるのが楽しみだ。 …だがどうしてか、妙に胸がドキドキする。いったい何故なのか。 ・糸魚川駅南口にある王国の館 糸魚川の特産品やお土産品を扱うヒスイ王国館で、おまんたを手に入れる事ができるとの情報を得た。ここに大量のおまんたが…待っていろ、おまんた。 …だがまただ、何故かソワソワしてしまう。これは不思議だ。 ヒスイ王国館は駐輪場完備との情報もあるのだが、見…
<青蓮院門跡跡> 古代出雲については、第65回・第98回ブログで少しばかり言及しました。 今回、5世紀の状況を中心に、1世紀頃から7世紀頃までを通史的に深掘りしてみます。 過去のブログで言及した出雲関連記事の一部について、その後の検討の結果、不具合部分が判明したので、あわせて訂正したい。 『記・紀』の出雲神話は、ヤマト王権の手で構想された出雲国の服属の経緯を記した物語ですが、『出雲国風土記』の神話は、出雲の視点で描かれた出雲の国づくりの物語といえます。 双方を見比べ、古代史として汲み取れる部分がないか、また史実は如何様であったのか、考古学の知見を参考にしながら纏めてみたいと思います。
ここ数日で、「日置」と「額田部」を軸にした長大な文章を書いた。 なぜ、今、あえてこんなことを書いているのかというと、私たちの足下の歴史の捉え方が大きく歪められてしまっていれば、現在を生きる私たちの世界観や人生観も歪んでしまって当然だと思うからだ。 歴史教育が年号や人物名の記憶優先になってしまって、その背景にまったく踏み込めていないことについては多くの人が問題視しているが、問題はそれだけでなく、私たちが植え付けられている歴史観が、まるでハリウッド映画のように、ヒーローと悪人、勝者と敗者の組み合わせストーリーで処理されてしまっている。 飛鳥時代に蘇我氏という強い奴が突然現れたが、横暴な振る舞いが続…