小説家、随筆家。本名内田栄造。別号百鬼園。岡山県出身。百間のペンネームは幼い頃に遊んだ百間川にちなんでいる。戦後筆名を百閒に改めた。
1889年(明治22)、造り酒屋志保屋の長男として岡山市に生まれる。東京帝国大学独文科を卒業。旧制中学在学当時から夏目漱石に傾倒し、上京後、漱石門下となる。同じく漱石の門下だった芥川龍之介や森田草平らとも交友を結ぶ。漱石や芥川との交流は『私の漱石と龍之介』(ISBN:4480027653)に詳しい。また、森田草平との交流を記した、「実説草平記」などもある。
陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学などで独逸語教授を務め、特に、法政大学では、航空部の顧問としても活躍した。1934年(昭和9)から専業の文筆生活に入った。琴に堪能で鉄道他乗り物好き。小鳥好き。
(参照)Wikipedia - うちだひゃっけん
以上のことから、「百間は誤りで百閒が正しいという言説」は誤りである。
「閒」という漢字が機種依存文字なので、文字化けを避け「百間」「百けん」の表記を使用する場合がある。
小説では、「冥途」「サラサーテの盤」「旅順入城式」「間抜けの実在に関する文献」「贋作我輩は猫である」、随筆では「ノラや」「御馳走帖」、紀行文「阿房列車」など多岐に渡る。
「センセイの鞄」の川上弘美がよく言及する作家。マンガ「So What?」のわかつきめぐみも「ノラや」について触れている。
閒と打って下さい。