保元物語。保元合戦物語、保元合戦記、保元記とも。 軍記物語。三巻。鎌倉時代に成立、のち様々な成長を遂げた。 作者未詳、「平治物語」と同じともいわれる。
保元の乱の顛末を和漢混交文により記し、武士たちの活躍を描く。
作中の美福門院得子は、玉藻前のモデルとされる。
問 次の文を現代語訳しなさい。 度々仰せ下され候ふのあひだ(保元物語) 【解答】 仰せ → (名詞)命令、御命令、言いつけ 下さ → (サ行 四段活用 未然形)命令、判決などを言い渡す れ → 受身 る 連用形 候ふ → (ハ行 四段活用 連体形 丁寧語)~です、~ます、~ございます あひだ → (名詞だが接続詞的に用いることがある)~ので、~から 訳 何度も御命令が下されましたので 摂南大学(一般選抜前期日程) (2024年版大学入試シリーズ) 教学社 Amazon ポイント 「あひだ」の接続用法はかなり特殊だが覚えておかないと何のこと言っているのか分からない。 こいういった特殊なものは頭の…
反語はこれでもかってくらい出題される。 反語の形を覚えておけば問題なし! やは・かは・めや → 反語(~か、いや~ない) 例 誰かはかく身に替えて助くべき。(保元物語) べき → 推量 べし 連体形(係助詞「か」があるので係り結び) 「かは」があるので反語で訳す。 訳 誰がこのように自分の身に替えて助けるだろうか、いや助けない。 成蹊大学(文学部−A方式) (2024年版大学入試シリーズ) 教学社 Amazon ポイント 形を覚えて見つけるだけの簡単なお仕事。 反語か疑問か判断するのは意外と難しい。 その中で、反語確定の形はラッキーパターンとして覚えておくと便利だ。 ランキング参加中アクセスの…
問 解釈として最も適当なものを選べ。 すかしまゐらせ給へ(保元物語) ① 御簾ごしにご覧なさいませ ② お気持ちをなだめ申し上げなさいませ ③ 急いで参上なさいませ ④ 好きにお話申し上げなさいませ ⑤ 催促しにお行きなさいませ 【解答】 すかし → (サ行 四段活用 連用形)だます、おだてる、なだめる まゐらせ → (サ行 下二段活用 連用形)謙譲の補助動詞 お~申し上げる 給へ → (ハ行 四段活用 命令形) 訳 なだめ申し上げなさい。 まず、「まゐらせ」の意味が入っている②と④にしぼり、そこから「すかし」の意味で答えを選ぶ。 答え ② 共通テスト過去問研究 国語 (2024年版共通テスト…
百人一首第88番目の歌の作者は皇嘉門院別当こうかもんいんのべっとうです。 皇嘉門院聖子せいしに仕えた人でした。 今回は皇嘉門院別当について紹介します。 皇嘉門院別当とは 生没年は不詳。 藤原忠通の娘で崇徳天皇の皇后であった皇嘉門院聖子に支えていました。 保元の乱では崇徳天皇と藤原忠通が対立。 皇嘉門院聖子はその板挟みとなり苦悩したことでしょう。 乱の後に出家します。 皇嘉門院別当も、共に出家したと考えられています。 百人一首に選ばれている歌は、掛詞、縁語が多用されています。 「難波江の芦」は「かりね」の序詞。 「かりね」は「刈り根」ですが、「仮寝(仮初の共寝)」。 「ひとよ」は「一節」と「一夜…
メトロポリタン美術館に所蔵される金地の六曲一双屏風。右隻に『保元物語』、左隻に『平治物語』の内容を描きこむもので、「合戦図屏風の最優作」とも評価される。作者は不明。制作年代については慶長五年(1600)から慶長十五年(1615)とされるが、寛永七年(1630)を下限とみる説も示されている。 保元の乱と平治の乱 メトロポリタン本の特徴と伝来 〈後白河院御即位〉の描写から推定される制作年代 参考文献 保元の乱と平治の乱 メトロポリタン美術館蔵「保元平治合戦図屏風」(以下、メトロポリタン本と呼称)に描かれる『保元物語』と『平治物語』は、それぞれ保元元年(1156)七月の「保元の乱」と平治元年(115…
百人一首第77番目の歌の作者は崇徳院すとくいんです。 前回の藤原忠通とともに保元の乱の中心人物。 崇徳院は騒乱の敗者となります。 今回は崇徳院について紹介します。 崇徳院とは 生年1119年、没年は1164年。 第75代天皇です。 鳥羽天皇の第一皇子。 母は待賢門院(藤原)璋子たまこ。 ただ、本当の父は鳥羽天皇の父、崇徳天皇の祖父にあたる白河天皇であるとの疑惑があります。 そのためか鳥羽天皇は崇徳天皇を嫌います。 それが保元の乱の一因とも考えられています。 崇徳天皇は保元の乱に敗れ、讃岐国に配流となります。 その地で亡くなりました。 髪を伸ばし放題にし、爪を切ることもなく、生きながら天狗になっ…
鎌倉時代の出来事を年表にまとめた。 鎌倉時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 平安時代 後は 室町時代 鎌倉時代の概要 鎌倉時代の政治 鎌倉時代の文化 随筆 軍記物語 歌集 彫刻 鎌倉時代の出来事 1160年 (平治元年) 源頼朝 伊豆国に 配流 1180年 (治承4年) 源頼朝 挙兵 1180年 (治承4年) 源頼朝 鶴岡八幡宮 を遷す 1183年 (寿永2年) 後鳥羽天皇 即位 1183年(寿永2年) 寿永二年十月宣旨 1184年 (元暦元年) 源頼朝 勝長寿院 建立 1185年(文治元年) 文治の勅許 1189年(文治5年) 奥州合戦 1189年 (文治5年) 北条時政 願…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年3月17日 YAHOO!JAPANニュース「怨霊の幸う国・日本 源氏物語のもう一つの読み方とは? [写真]太宰府天満宮(GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート) 主人公・紫式部を吉高由里子さんが演じるNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されています。紫式部によって書かれた日本を代表する古典文学「源氏物語」ですが、建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「ストーリーにモノノケの力が作用していることを意識しながら読むと、エンター…
鹿児島市本城町は、かつての大隅国吉田(よしだ)のうち。ここに「下坊上山の五輪塔」と呼ばれるものがある。ちなみに「しもんぼううえやま」と読む。 山の中に五輪塔が2基。『三国名勝図会』によると、次のような伝承があるという。 本城村、下之坊阿彌陀薬師堂の庭に在り、鎮西八郎爲朝夫婦の墓と傳称す、或は云爲朝自ら此石塔を建て、島へ下ると (『三国名勝図会』巻之七より) 源為朝(みなもとのためとも)とその妻の墓であると伝わる。また、源為朝が自分で建て、そして南島へ渡った、とも。 源為朝は保延5年(1139年)の生まれ。源為義の八男とされる。兄に源義朝(よしとも)があり、源頼朝は甥にあたる。 とにかく、めちゃ…
◆◇#光る君へ 2分ダイジェスト◇◆第十回「月夜の陰謀」を2分にギュッとまとめた動画を公開!▼#NHKプラス では本編をフルでご視聴いただけますhttps://t.co/fqoIlzjjcQ※配信期限:3/17(日) 夜8:44 まで※要ログイン pic.twitter.com/dWiaSyQ2vq — 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) 2024年3月11日 道長が、直秀の遺骸に扇をあててあくまでも散樂の役者として黄泉へ送ったと同時に、扇で結界をつくってもいるので、怨霊としてこの世に戻り、さ迷うこともないでしょう。 — 渡辺勉 (@bentsudanu…
2月1・2日(木・金)忌引休暇。1日は上石神井に事務所があるM祭典と打ち合わせ。棺に収められた義父に面会。久々に、AのYおじさんとKおばさん、Tおばと次女のKさんにもお会いする。2日は納棺の儀(告別式の会場である杉並区の堀ノ内斎場にて)。リンボウ先生の『書誌学の回廊』読み終える。 書誌学の回廊 作者:林 望 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版 Amazon 2月3日(土)義父の告別式。親戚ではA家ご家族、SおばさんとYさん親子、Tおばさんご家族が参列。温かなよい式だった。 2月4日(日)『保元物語』を読む。『増補 日本美術を見る眼』読了。 増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い (岩波現…
さて再び英雄ものの本に取り掛かります。 葛飾北斎の三大武者絵本、「絵本和漢誉」「和漢絵本魁わかんえほんさきがけ」「絵本武蔵鐙えほんむさしあぶみ」のひとつ、「絵本和漢誉」です。「絵本和漢誉」の登場人物は60人くらいいるのかな? 天保六年(1835)に下絵が描かれ、嘉永庚戌(三年)(1850年)に出版されたそうです。売れたんでしょうね~。 前北斎 画狂老人卍筆 画本和漢誉嘉永庚戌孟春新鐫 江都東昌軒発行 「和漢絵本誉」国文学研究資料館所蔵 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンス CC BY-SA 古(いにしへ)に云(いふ)。書は言(こと)を尽さず。言は意を尽さずといへり。今これを譬(た…
1月1日(月・元日)今年もおせちは大丸松坂屋で注文、お酒は日本酒「作 雅乃智」。僕の好物の鰤の南蛮漬けと目出度い八頭の白煮、息子が好きな伊達巻、雑煮はかみさんの手作り。家族で新年を祝った後、実家、義母義妹、叔父叔母に電話で挨拶。息子、国立競技場に、サッカー日本代表のタイ戦を見に行く。 2024 雑煮とおせち 1月2日(火)老後の生活費の準備を検討。初詣、ウォーキング。ドラマ「VIVANT」1話を見る。昨年評判のTVドラマだが見ていなかったので、正月にまとめて見ようと思っていた。面白さ抜群で一気にドラマの世界に引き込まれる。ファブル セカンドコンタクト9巻、バキ道は最終巻の17巻、ONE PIE…
"旅する僧"として全国各地に伝承を持つのが空海や行基、宗祇、西行などです。なかでも、宗祇や西行が、旅の途中で出会った子供が詠んだ歌のレベルの高さに驚いて道を引き返したというパターン(西行戻り伝説と呼ばれる)の伝承は興味深いものです。 【歌詰橋(竜門橋)】 嵐電嵯峨駅の近くを流れる瀬戸川に架かる歌詰橋にも2種の類話があります。西行がこの橋のたもとにあった酒屋で歌を詠みあい、返歌に詰まったというものと、西行が子供と歌の贈答をして負かされたというものです。歌詰橋の名もその伝承にちなんでいます。 【ニ尊山西光院】 出家した西行が、ここに庵を結んだことが起源の寺と伝わっています。西行は俗名を佐藤義清(の…
12月2日(土)床暖のスイッチをつける。『謀聖 尼子経久伝 雷雲の章』を読み終える。これで、このシリーズは完結。1巻はあまり面白くなかったが、2巻からこの4巻までは読み応えがあり、大変面白かった。義父のところに行く。夜、「カリートの道」を見る。 謀聖 尼子経久伝 雷雲の章 (講談社文庫) 作者:武内 涼 講談社 Amazon カリートの道 (字幕版) アル・パチーノ Amazon 12月3日(日)『陸奥話記』を読み終える。あまり面白くは思わず。ジョギング、シナリオ講座課題作成、ブログを書く。美容院。 新編 日本古典文学全集41・将門記/陸奥話記/保元物語/平治物語 小学館 Amazon 12月…
桑原城は、南東2kmにある諏訪氏の本拠上原城の支城だが、上原城を焼き払って桑原城に撤退したという諏訪頼重の最後の行動から、一説に桑原城がその頃の本城であったともいう。高鳥屋城とも呼ばれ、戦国大名としての諏訪氏が実質的に滅んだ際の城でもある。 桑原城の築城時期は不明だが、古くは保元元年(1156)の保元の乱を描いた「保元物語」に、源義朝に従う信濃国の豪族として桑原氏が登場しており、一帯を支配していた桑原氏が、詰城として原型の城を築いた可能性もあるだろうか。ただ、想像の域を出ない話ではある。 史料や事績を踏まえると、本城である上原城が応仁の乱勃発前年の文正元年(1466)に存在していたと見られるこ…