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井伊直政

(社会)
いいなおまさ

戦国武将。1561年〜1602年。兵部少輔。
徳川家臣。徳川四天王。近江彦根藩祖。井伊直孝の父。
徳川四天王の中では飛び抜けた年少者であるが、武田家遺臣を配下に与えられ、山県昌景の赤備を受け継ぎ、配下の軍装を赤で統一し、「井伊の赤備」として大いに恐れられた。
徳川家においては比較的新参であるが、同家にあっては珍しい大抜擢に近い扱いを受けている*1
本人は常に自ら先陣を切り、全身傷だらけであったと伝えられる。この辺り、同じ四天王と本多忠勝と好対照である(この二人は仲が悪かったとも言われている)。

関ヶ原の合戦では西軍諸将の切り崩しを行い、合戦当日も先陣を強引に奪い取るなど前線で活躍。が、撤退する島津勢との乱戦中に負傷する。
戦後の論功行賞にて、石田三成の旧領を与えられ近江佐和山18万石*2を領したが、合戦の傷が元で亡くなった。

*1:家康の寵愛を受けていたからとの説もあるが、直政の武勇・忠節・才覚などが卓越した物であったのも事実である。

*2:直政の死後、佐和山城から彦根城へ居城を移し、また石高も譜代最大の35万石まで加増された。

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