天正6年(1578年)7月21日。織田信長、遠行。本能寺にて休まれている間に、何者かにより襲撃され、身柄不明に。 この混乱の中、織田家の実権を巡り、その筆頭勢力であった明智光秀と羽柴秀吉が全面対決。柴田を味方につけた明智方優位に進むも、天正9年(1581年)10月23日に夜の森で何者かによって襲われた光秀が胸を矢で射たれ絶命。 以後は竹中重治の謀略により勢力を取り戻した羽柴が織田家の実権を握っていくこととなり、その過程で光秀亡き後の明智家を一度、敗北せしめる程となった。 だが、表向きの臣従を見せつつ復讐の機会を待ち続けていた明智光秀が嫡子・光慶は、密かに味方となる勢力を集め、文禄2年(1593…