江戸の侍、村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が江戸近郊を歩いた記録『江戸近郊道しるべ』のルートを辿るシリーズ。前回の「藤稲荷に詣でし道くさ」とほぼ同じルートなので、合わせて探索。 ところで、タイトルの「高田村天満宮」は新宿区西早稲田二丁目にある高田八幡(穴八幡)の北隣にあった高田天満宮のことだが、所在地は当時の高田村ではなく、下戸塚村である。また、その後に訪れている「仙元塚」(浅間塚)は上高田村ではなく上落合村の誤りである。 さて、藤稲荷詣でから七年後の天保二年八月十九日(1831年9月24日)。 「退直午飯後、高田辺閑行、真定院へ立寄」 仕事を終えた七十二歳の嘉陵は昼食後に高田あたりへ…