Vahid Halilhodžić
ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
1952年10月15日生まれ。旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のヤブラニカ出身。フランス国籍を取得している。
現役時代のポジションはフォワード。FCナントの在籍時には2度のフランスリーグ得点王に輝いたストライカー。ユーゴスラビア代表としても1976年UEFA欧州選手権、1982年FIFAワールドカップに出場した。
現役引退後は指導者となる。1997年から1998年までモロッコのラジャ・カサブランカの監督を務め、モロッコリーグ2連覇、1997年CAFチャンピオンズカップ優勝に導いた。1998年から2002年まで監督を務めたLOSCリール・メトロポールでは、1999-2000シーズンに2部リーグ優勝、2000-2001シーズンも1部リーグで3位に食い込み、年間最優秀監督賞を受賞した。パリ・サンジェルマンFCでは2004年クープ・ドゥ・フランスで優勝した。
2008年からコートジボワール代表の監督を務め、攻撃的なサッカーを展開していたが、2010年アフリカネイションズカップで準々決勝敗退となり、その責任をとる形で解任された。2011年6月、アルジェリア代表監督に就任すると、2014年のFIFAワールドカップではベスト16に進出。4試合全てでフォーメーションを変えるなど、変幻自在の采配を振るった。
2015年3月、ハビエル・アギーレの後任としてサッカー日本代表の監督に就任。
元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムとの親交が深い。