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マシュー・カルブレイス・ペリー

(一般)
ましゅーかるぶれいすぺりー

Matthew Calbraith Perry
1794年4月10日、生まれ。1858年3月4日、死去。
アメリカ合衆国の海軍軍人。
ロードアイランド州サウス・キングストン生まれ。米国初の蒸気軍艦フルトン号を建造し、その艦長となったため、「蒸気船海軍の父」と呼ばれた。
兄のオリヴァー・ハザード・ペリー(Oliver Hazard Perry ,1785年-1819年)も海軍軍人*1
米英戦争米墨戦争などに参加、アフリカ艦隊の指揮の経験もあった。
1852年に東インド艦隊司令長官となり、遣日特使として1853年7月8日(嘉永6年6月3日)に軍艦四隻を率いて浦賀に来航。蒸気船来航は「黒船来航」として鎖国体制に大きな衝撃を与えた。久里浜で修好通商を求めるミラード・フィルモア大統領の親書を伝達し、再来を予告して退去。
1854年2月13日(嘉永7年1月16日)に江戸湾に再渡来し、軍艦七隻で江戸湾深く航行して幕府を威圧、横浜応接所での日米会談により、日米和親条約を締結。帰途、那覇にも寄港し、琉球王国とも琉米修好条約を締結。
帰国後、『日本遠征記』を監修。

*1:米英戦争時に、エリー湖で英艦隊を撃破し、ウィリアム・ヘンリー・ハリソン将軍に対して「われら敵を発見、これを捕獲せり」と連絡したことで有名。

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