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ペロポネソス戦争

(社会)
ぺろぽねそすせんそう

紀元前431年〜紀元前404年
ペルシア戦争後に古代ギリシア世界で起きた覇権争い。
ペルシア戦争の勝利に中心的な役割を果たしたアテナイ(アテネ)はペルシア帝国の再攻撃に備えるためにデロス同盟を組織した(紀元前478年)。が、デロス同盟はやがてアテナイの覇権維持の道具となり、諸ポリスはこれに対する反感を強めた。
ここでスパルタを中心とするポリスがペロポネソス同盟の元に結束、アテナイとの戦争が勃発した。
陸軍国スパルタに対してアテナイが海軍国であるというのが戦争の基本的な性格であった。アテナイは市と外港ピレウスまで続く防壁を建設、外部との連絡を確保した。陸上では防御に回り、海上で攻勢に出る(あと、市の必要とする食料を海上輸送で運び込む)というのが、当時のアテナイの事実上の最高指導者であったペリクレスの立案した戦略だった。
攻城戦技術の未熟な古代ギリシア世界であったので、この戦略は有効に機能し、アテナイは戦争を有利に進めていた。しかし、アテナイで発生した疫病がすべてを変えた。外部からの避難民を受け入れて過密状態になっていた市内で、疫病は猛威を振るい、ペリクレスその人も倒れた(紀元前429年)。
ペリクレスの死後、アテナイでは大衆を扇動する政治的山師が登場し、彼らによってアテナイの政策は混乱を見せる。
最終的に彼らの一人、アルキビアデスによって行われたシチリア島への遠征でアテナイは壊滅的な打撃を受ける。
スパルタは海軍を建設してアテナイからエーゲの制海権を奪い、外部からの食糧の供給を絶たれたアテナイは降伏した。

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