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ブルーインパルス

(一般)
ぶるーいんぱるす

[英] Blue Impulse
ブルーインパルスは、航空自衛隊の存在を多くの人々に知ってもらうために、航空自衛隊の航空祭や国民的な大きな行事などで、華麗なアクロバット飛行(展示飛行)を披露する専門のチームの通称である。
正式名称は、宮城県松島基地の第4航空団に所属する「第11飛行隊」。

初代(F-86F)

ノースアメリカンF-86Fセイバー戦闘機を使用していた初代ブルーインパルスは、1958年10月「フライバイチーム」として発足した(後「空中機動研究班(60/04〜)」「空中機動研究班(60/08〜)」「戦技研究班(65/11〜解散)」)
やがて、編隊長機のコールサイン「インパルスブルー」転じた「ブルーインパルス」を通称として名乗るようになる。
初代ブルーは、1964年10月10日の東京オリンピック開会式での「五輪マーク」、1970年3月14日の大阪万博開会式での「EXPO70」の文字を描いたことで広く知られている。
公式展示通算545回を数えた「初代」戦技研究班は、1981年12月に解散した。

二代目(T-2)

三菱T-2練習機を使用した「二代目」戦技研究班が新編成されたのは1982年1月。
世界でも例の少ない、音速機を使用したアクロバットチームとして、速さと豪快さを持ち味にした展示飛行で活躍。1995年12月の解散まで、175回の公式展示飛行を行った。

三代目(T4)

1995年12月、宮城県松島基地の第4航空団に「第11飛行隊(航空自衛隊史上初めて、展示飛行を専門の任務とした飛行隊)」が発足。ブルーインパルスはこれまでの「班」ではなく、正式の「部隊」となった。
使用している川崎T-4練習機は、石川島播磨製F3ターボファンエンジンを2基搭載し、最大速度はマッハ0.9。
1998年2月の長野冬季オリンピックや、2002年6月のサッカーワールドカップの開会式会場の航過飛行を行うなど、活躍を続けている。

沿革

1960年3月4日、F-86Fによる初の公式展示飛行を実施(浜松北基地:現 浜松基地)
1964年10月10日、第18回オリンピック競技大会 開会式(東京)でスモークで五輪のマークを描く
1970年3月14日、日本万博博覧会 開会式(大阪)でEXPO’70の文字を描く
1981年2月8日、F-86Fによる公式展示飛行を終了(入間基地)
1982年7月25日、T-2による公式展示飛行を開始(松島基地)
1990年4月1日、国際花と緑の博覧会 開会式(大阪)
1998年2月7日、T-4による公式展示飛行を開始(防衛大学校)
1997年4月25日26日、初の海外遠征を実施(アメリカ ネバダ州)
1998年2月7日、第18回オリンピック冬季競技大会 開会式(長野)
2002年6月5日、2002 FIFAワールドカップ 開会式(埼玉)
2004年、航空自衛隊50周年を記念して新課目「サクラ」を開発
2006年、第11飛行隊が創設されて10周年になることを記念し、2月17日・18日に記念行事が開催
2007年5月27日、美保基地航空祭で、T-4によるブルーインパルスとしては通算200回目となる展示飛行を達成
2011年3月、ブルーインパルスは同年3月12日の九州新幹線全線開通を記念した展示飛行のため、芦屋基地へ。松島基地が津波の被害を受けたため、帰還することも出来なくなり、機体を九州に残したまま、隊員だけが同年3月14日に松島基地および周辺地域の復旧作業のために帰還
2013年8月7日に千歳基地で行なわれた航空祭で展示飛行を再開
2013年3月28日、芦屋基地を出発、3月30日に松島基地に帰還
2014年5月31日、「SAYONARA国立競技場FINAL“FOR THE FUTURE”」にて展示飛行

ブルーインパルスパーフェクト・ガイド (イカロスムック)

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航空自衛隊創立50周年記念 ブルーインパルス [DVD]

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