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フランシス・ジャンソン

(社会)
ふらんしすじゃんそん

(1922−) 第一次世界大戦後、サルトルが創刊した『レ・タン・モデルヌ』の編集委員として活動していたが、1955年、妻のコレットとの共著でアルジェリアの独立をめざすFLNの初期の戦いとフランス植民地軍の弾圧を描いた『法の外のアルジェリア』を発表したことがきっかけとなり、翌年、FLNと接触、57年10月からFLNを支援する非合法のネットワークを形成する。当初は40名程度で出発した「ジャクソン機関」と呼ばれるこのネットワークにはキリスト者、共産党を離脱した知識人・青年ら多くの人間が連なり(1960年初めには、その数は四千名までになっていた)、トゥールーズ、リヨン、マルセイユなどフランスの各都市のみならずベルギーなど国外にも広がっていった。ジャンソンのネットワークは、FLNがフランス国内で調達した資金を第三国(特にスイス)の銀行に運搬したり、FLNの活動家へのアジト提供や移送というFLN支援の具体的活動のほか、フランス人の若者に対して脱走と戦闘拒否の呼びかけを行い、〈若きレジスタンス〉という反戦青年組織を作り出すなどの成果を上げた。ジャンソンのネットワークは創設から3年間もフランス警察の網をくぐり持ちこたえたが、1960年2月に初の逮捕者を出し、大々的に弾圧され、ジャンソン自身は地下に潜行した後、スイスに亡命した。

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