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パレスチナ

(地理)
ぱれすちな

[Palestina]
地域名。大雑把に言って、地中海東岸南部、アフリカ大陸とユーラシア大陸の交点のアジア側。この地域は古代から諸民族が入り乱れてきたので、どこからどこまでといった場所の限定は難しい。たぶん、第一次世界大戦後の英国委任統治領パレスチナ(ヨルダン川−死海ラインから地中海まで)が、地理概念としては一番正確に近いはず。
もっとも、政治的な思惑の絡んだ概念でもあるので、イスラエルの領土(1947年の国連決議によるものとか)を「パレスチナ」概念に含むのか含まないのか、とかいう根本的な問題があるし、さらに「イスラエルはパレスチナに含まない」とすると、今度はどっからどこまでがイスラエルなのかとか(イスラエル人の極右勢力であれば、全部イスラエル領土と主張するだろうし、左派には左派でいろいろ主張がある)いろいろな問題が山積。

  • 「パレスチナ」とはイスラエル建国以前は、現在のイスラエルとパレスチナ自治区の両方を含んだ土地を意味するが、1948年以降は現在のパレスチナ自治区のみを指す場合が多い。しかし、それ以降もイスラエルによる占領拡大によって、その指す範囲は変化しており、また文脈によっては、現イスラエル領を含めた全体を指す場合もある。−エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ 2』中野真紀子訳注より


 
 

同様に、「パレスチナ人」と言っても、「パレスチナ国があってパレスチナの旅券を発行されたパレスチナ国民」が存在したわけでもないので、良くも悪くも定義自体が政治的なイシュー(及び取り引きの道具)になってしまう。

  • 「パレスチナ人」とは、1948年以降、イスラエル領となった地域を除くパレスチナに住むアラブ人および周辺諸国に難民として逃れたアラブ人を意味することが多いが、イスラエル国内に住みイスラエル国籍を持つアラブ人を含める場合もある。しかし、パレスチナ人が「パレスチナ人」としてのアイデンティティをいつからどのように保持していたのかは、当然ながら一義的には決められない。オスマン帝国期からとする説、1920年前後のイギリス委任統治初期とする説、1936年からのアラブ大反乱期とする説、1948年のイスラエル建国期とする説、1967年第三次中東戦争による全面的被占領期とする説、1987年からのインティファーダ期とする説、さらにはイスラエル国内のアラブ人にまで広がった第二次インティファーダ(アル・イクサ/インティファーダ)期とする説まである(はじめてイスラエル国内のアラブ人にまで抵抗運動が共有されたからだ)。おそらく、これらすべてのプロセスを経ながら、さまざまなかたち・範囲・程度で、パレスチナ人としてのアイデンティティが形成されてきたと言える。だが、現在でも「アラブ人」や「ムスリム」としてのアイデンティティのほうが強い人も少なくないだろうし、さらにもっとローカルなレベルでのアイデンティティもまた共存して当然であろう。−『戦争とプロパガンダ 2』より引用
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