ニコライ・ネフスキー(1892年―1937年)ロシアの東洋言語学者。
ネフスキーは1915年、官費留学生としてロシア帝国から来日した。
14年間日本に滞在し、柳田国男(柳田國男)、折口信夫、伊波普猷、金田一京助らと交流を深めながら沖縄の宮古島やアイヌ、台湾の少数民族の言語や文化を研究した。宮古島には22年、26年、28年と3度訪れている。
1937年にスターリンによる粛清で、北海道出身の妻イソとともに銃殺された*1が、死後名誉回復された。
近年、宮古島方言の研究資料などが注目され、その研究のレベルなどが高く評価されている。
加藤九祚(国立民族学博物館名誉教授)による『天の蛇―ニコライ・ネフスキーの生涯―』(河出書房新社)が第3回(1976年)、大佛次郎賞を受賞している。
司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズの38巻『オホーツク街道』にネフスキーの人的交流が描かれている。
*1:死亡の発表は1945年のため、資料によっては1945年死去とされる。