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トニー・ジャット

(読書)
とにいじゃっと

Tony Judt
英国の歴史家・著作家・ニューヨーク大学教授
1948年ロンドン生まれ。2010年8月6日、死去。62歳だった。
ヨーロッパ史を専門とし、ニューヨーク大学のErich Maria Remarque Instituteのディレクタだった。

経歴

1948年に生まれロンドンのイーストエンドで育つ。母の両親はロシアから移住、父はベルギー人で祖先はリチュアニアのラバンだった。ジャッドはEmanuel Schoolで教育を受け1969年にBAを、1972年にケンブリッジ大学の歴史のPhDを取得している。

戦後のヨーロッパで生活していた多くのユダヤ人にあるようにジャットの両親も宗教には熱心ではなかった。しかしそれでも両親はジャットをヘブライ語学校へ通わせ、祖父母のイディッシュ文化に浸らせた。両親の勧めでジャットは 15歳から政治に興味を持ち始める。英国に住むユダヤ人のイスラエル移民事業にも参加する。1966年にキングスカレッジで賞を受け、一年間休暇を取り、 Machanaimのキブツへ働きに行く。ナセルが国連軍をシナイ半島から退去させた1967年、イスラエルが戦争準備をする中で、ジャットも多くのヨーロッパ系ユダヤ人と共に徴兵されたキブツ労働者の跡を埋めて働く。六日戦争後は運転手やイスラエル軍の翻訳家を務める。

しかし六日戦争後ジャットのシオニスム熱は冷める。『社会主義の社会と労働による共同体を作るつもりでイスラエルに行った。しかしこのヴィジョンが現実になるには、あまりにも国から追い出され難民キャンプで苦しむ人を知らないものだった』と述べている。

ジャットは 2003年末までイスラエルを支持する中道的雑誌The New Republicの定期的な寄稿者だった。しかし10月23日にNew York Review of Booksに発表したパレスチナのニ国家創立案を擁護する記事でThe New Republicの寄稿者の地位を追われ、その編集長Leon Wieseltierや、多くのイスラエル支持派のコメンテーターから非難を受ける。

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