Raymond Ames Spruance(1886年〜1969年)
たまに「スプールアンス」とも。第二次世界大戦時のアメリカ海軍軍人。最終階級大将。
若年時から頭の回転の速さで知られた。ハルゼーを猛将とするならば、智将と呼ぶべきだろう。
本来は巡洋艦部隊を指揮していたが、ハルゼー入院のため空母機動部隊の指揮を執ることになり、ミッドウェー海戦の勝利者となる。その後は終戦まで、ハルゼーと交代交代で空母機動部隊を指揮することとなった。
ニミッツの後任の太平洋艦隊司令長官になった後、海軍大学校の校長を務め、引退。アイゼンハワー政権下ではフィリピン駐在大使に任命されている。
なお、米海軍駆逐艦DD-963「スプルーアンス」の艦名が彼の名にちなむことは言うまでもない。