「軍事政権とエル・マタドール」 軍事独裁政権の思惑 戦前から何度もWカップの開催国に立候補し、その度に涙を飲んできたアルゼンチンだが、66年のロンドンFIFA総会でようやく第11回大会の開催地に選ばれた。しかしそれから10年後の76年、クーデターにより軍事政権が発足。アルゼンチンを取り巻く状況が一変する。 軍事政権は左翼や反政府活動家を弾圧。拷問されたり、拉致されて行方不明になった人々も1万人を越えた。軍事政権は2年後に迫ったWカップを、予定通り開催すると表明するが、反抗する左翼ゲリラが軍部の任命した組織委員長を暗殺。欧州からはアルゼンチンでの開催を不安視する声が上がった。 しかしFIFAは「…