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ケッセルリンク

(一般)
けっせるりんく

Albert Kesselring(1885年〜1960年)


世界大戦期のドイツの軍人。戦間期には空軍参謀総長を務めた。
第二次世界大戦のドイツ空軍で最有能の前線指揮官。


略歴

バイエルン出身。1904年に士官候補生として陸軍に入隊。第一次世界大戦が起きると砲兵将校として勤務。その後、航空隊に転属して気球観測員になる。この時期に同じく航空隊のゲーリングと親しくなる。
戦後も軍に残り、再建ドイツ空軍に転籍。1936年には死亡したヴェーファーの後任として空軍参謀総長に就任。翌年空軍大将に昇進。
第二次世界大戦時には第一航空艦隊司令長官としてポーランド戦を戦い、つづいて第二航空艦隊を率いて西方電撃戦とバトル・オブ・ブリテンに参加。1940年7月に元帥に昇進。
バルバロッサ時にも第二航空艦隊を率いたまま参加したが、後、地中海方面に転属。
この後の展開は錯綜するのだが、最終的にイタリア半島で空軍のみならず陸軍も含めた枢軸軍のトップとなり、連合軍の攻勢に対する防御戦闘を指揮。サレルノ、アンツィオ、グスタフライン等で連合軍を苦しめる。
1944年10月に重傷を負い入院。翌年3月に西方総軍のトップとして復帰し、さらに南方全域のドイツ軍の司令官として5月に降伏。
戦後、1947年にパルチザン射殺の責任を問われて戦犯として死刑判決を受けるが終身刑に減刑され、さらに20年の刑に軽減。1952年に健康上の理由で釈放される。
後、回顧録を執筆する他、退役軍人会の会長も務めている。
基本的な性格としては強靱な楽観論者であり、常に微笑を絶やさずにいたことで、部下からは「微笑みのアルベルト」と慕われていた。

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