テレビ朝日のクイズ番組。
昭和44年、田宮二郎の司会でスタート。
彼の「現代は時間との戦いです。さぁ、あなたの心臓に挑戦します。タイム・イズ・マネー、一分間で100万円のチャンスです」という名ゼリフと、正解が3問以下なら挑戦者のイスが回ってしまうという、まさに「ショッキング」なスリルが人気を呼んだ。
田宮の自殺後は山口崇が司会を務め、以後、昭和61年(1986年)まで続いた。(通算888回)
ところがどっこい平成元年(1990年)、生島ヒロシの司会で復活。
生島版最大の特徴は「ショックポイント」の存在。
その、「ショックポイント」が設定された問題で間違うと出場者に炭ガスが吹き付けられ、獲得賞金を没収されるようになっていた*1。
しかし、その雰囲気の明るさが災いし、わずか半年で終了。
テレビ朝日はこの生島版を、タイムショックの黒歴史としている。
そんな「タイムショック」は2000年、俳優の鹿賀丈史を「時の番人」に、中山秀征・新山千春を進行役にそれぞれ起用し、「タイムショック21」としてまたも復活。
2002年6月の打ち切りまでのあいだ、クイズの内容が二転三転していった。
現在は期末期首改編期の特番「タイムショック」として放送されている。;正解が5問以下であればトルネードスピンで、解答席が回転する。
2007年、「新タイムショック」にリニューアルされる。
なお、オリジナルから「タイムショック」まで出題ナレーションは一貫して矢島正明である。
この回は、意地悪問題や引っかけ問題を中心に出題された。大泉滉に関してのちに記すが、アシスタントだった廣瀬雅子はこのような問題が出題された
→いわば「タイムショック」の歴史の一部を問題にした。
*1:正解3問以下でも炭ガス。
*2:このとき、矢島正明は「である」と出題された
*3:この「YES」「NO」問題で前半と後半3問。ショックポイントが掛けられたが、挑戦した男性はすべてクリアして、賞金獲得できた
*4:また、稀に「ある」「なし」クイズや「ホント」か「ウソ」のクイズも存在した
*5:また、これを例にその日に出題された問題で偶然にも同じ答えもあった
*6:その中で「獅子・虎・ひょう。さて、大事なものの子は、何の子」(答え「虎」)と3つの関連があるが、一つの答えは実は違うことだったというのがある
*7:「心臓に毛が生える」は慣用句でいすれも毛が生えない
*8:また、「先生の閻魔帳の正式名はなんでちょう」と「教務手帳」と意図的にヒントのような答えもいくつかあった
*9:つまり「英語の「コメディ」の頭文字は?」は「C」という具合
*10:これは得意であっても、瞬時に答えを言うため難問だった
*11:このときに、「タイムショック」などのクイズ番組で出演した村田栄子と仙台市のスイミングスクールクラブ長が全問正解。また、初代ウルトラクイズチャンピオンも出演した。
*12:小山は優勝を逃したものの、11問正解と大健闘した
*13:池畑慎之介が2009年の特番でそのときをVTRで紹介された
*14:1986年の最終回でも矢島は出演。特別にクイズ問題では顔出しで出題した
*15:1985年9月放送の回では9問正解した