Carl Philipp Emanuel Bach (1714-1789)。
本名はカール・フィリップ・エマニュエル・バッハだが、C.P.E バッハ、あるいはC.Ph.E バッハなどと表記されることもある。
J.S.バッハの四男で、音楽史的にはバロックと古典派の間に位置するメランコリックな「感情過多様式」の代表的な作曲家。1740年からプロイセンのフリードリヒ大王の宮廷楽団のチェンバロ奏者などを勤めた。作曲もこなし、フルートを吹いたフリードリヒ大王の伴奏を勤めるなどはしたが、同僚と比べて、必ずしも高評価を得たわけではなく、67年より、テレマンが就任していたハンブルグ教会総監督になる。
生前の名声は、J.S.バッハが一番大物になるだろうと手塩にかけて育てた兄のフリーデマン・バッハなどを上回り、バッハと言えばエマニュエルを指していた時期もある。他の兄弟たちと区別するために、「ベルリンのバッハ」とも呼ばれた。
フリーデマン・バッハ(1710−1784)、「ハレのバッハ」。父親から一番嘱望されていたが、重圧に負けたのか生活破綻者。大バッハの自筆譜を大量に相続しながら、ほぼすべてを散逸。自作は多ジャンルにわたる。
クリスチャン・バッハ(1735-1782)、「ロンドンのバッハ」。イタリア風の明るい旋律美が身上。オペラなどで実力を発揮。同じくロンドンで活躍したドイツ系の作曲家、アーベルなどと組んで予約定期演奏会などを催した。モーツァルトとの交流でも有名。