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アルバート・アインシュタイン

(サイエンス)
あるばーとあいんしゅたいん

Albert Einstein(1879.3.14 - 1955.4.18)
「アルベルト・アインシュタイン」とも。
1879年ドイツ生まれの物理学者(理論物理)。

略歴

1879年3月14日、ドイツ・ウルム市に生まれる。幼少期はギムナジウムのしくみにあわず阿呆と思われたこともあるらしい。
1896年スイス連邦工科大学入学。1902年、スイス特許局技官に。1905年25歳にて発表した論文(三大論文:『光量子仮説』『ブラウン運動理論』『特殊相対性理論』)が世界を驚かせた。30歳の時スイス・チューリヒ大学定員外教授につきさらに普遍的な重力理論に取り組む。

1916年、ドイツ・ベルリン大学教授時代に「一般相対性理論」完成。なお1914-1919年の第一次世界大戦でドイツは敗戦国になる。大戦終了後の1919年11月6日、英国の天文学者アーサー・エディントンが、その年の五月に西アフリカで起きた皆既日食の際の観測によって、アインシュタインの予言通りに光が湾曲するのを確認したと発表し、一般相対性理論の仮説が証明された。1922年、ノーベル物理学賞受賞、来日。

研究者としての生活を歩むも、時代の流れが彼をしてドイツにとどまらせしめるにあたわず。結果、1933年ヒトラー政権成立の年、ナチによる迫害を逃れ米国へ。プリンストン高級研究所などで研究生活を送る。第二次世界大戦ののち、自己の理論が、マンハッタン計画、原子爆弾へとつながったことを重く考え、科学の平和利用ための言論も行う。

1955年4月13日、以前から分かっていた腹部大動脈瘤が破裂し出血が始まったが手術拒否。1955年4月18日、プリンストン病院で死去。享年76歳。

  • この項の年と彼の論文名等、『100人の20世紀』上(朝日新聞社編・朝日文庫)「アルバート・アインシュタイン」(p.27〜36)を参考にした。

ノーベル賞

1921年度ノーベル物理学賞受賞。
アインシュタインの最大の功績が相対性理論であることは衆目の一致するところであるが、ノーベル賞の対象は「光電効果の法則と理論物理学の領域における仕事に対して」となっている。
きまりとして、ノーベル賞は実証の伴わない純粋理論には出せなかった。が、アインシュタインにノーベル賞を出せないのでは賞の沽券にかかわる。というわけで、そういう搦め手から出す手法が用いられた。

※ノーベル賞受賞対象である光量子仮説は1905年6月発表。同年7月にはブラウン運動理論、9月には特殊相対性理論も発表されている(このときスイス・ベルン特許局技官)。一般相対性理論は1916年完成(ドイツ・ベルリン大学教授時代)。

発言

At any rate, I am convinced that He [God] does not play dice.(Max Bornへの手紙)

その他

日本にも訪れたことがある。

アインシュタインの予言

 日本が 「世界の盟主」 になると予言している 「アインシュタインの予言」 という文章が出回っているが、元々はスタイン (ドイツの法学者、ローレンツ・フォン・シュタイン) の言葉として戦前に流布していたものに、いつの間にか 「アイン」 が加わってしまった偽者である。

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