記事・ブログ自体のテーマは問わず。そういう属性のひとが書いてるよ、っていうグループ。ガチでそれについて語り合わなくても、なんとなく通じ合える部分があったりなかったりするかもしれないので...
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にぎみたま時期プロジェクト [http://新世界セミナー] 9/10 残席わずか にぎみたまのプロジェクト参加で どう変わったかなぁと しばらく考えていたら フロントセミナーが あと1回のみ 萌え活(LIVE)があって だいじなおねこ様たちのお世話をたのしんで これさえガマンしていればはあるけれど それ以外に大きな不満もなく 気の合うなかまもいる職場 でも・・・なんか・・・ ぼんやりとスッキリし…
…のは、私の場合ははるかな尾瀬ではないのです。 あ、どうも。 2年半ほどもここを留守にしていました。 その間、本当に色々なことがあり、良かったことも良くないことも過去形・現在形でさまざまに存在しています。 その経験のどれもがきっと、普通の親のもとに生まれ普通の家庭で育っていたら経験しなかったであろうことが原因の根底にはありますが、仕方がない。 私は、幸か不幸か、普通の親の元で普通に育つことが叶わな…
ときどき流行歌の歌詞に「泣いた数だけ優しくなる」「強くなる」みたいな趣旨の歌詞が見られるし、それは、美化された苦労話として比較的受け入れられている考え方だと思うのです。 子供の虐待についていうと、子供が苦しんでも泣いても強くも優しくもならないです。 私の場合は、毎晩何回も泣かされて辛い気分になり、何の救いもなかったことから、「人生は辛いことしかない」「早く死にたい」「家族は憎しみの根源だ」といった…
母親から愛を貰えなかったことが40代になっても未だに哀しい。多くの人が母親から貰った愛を心の土台にして、強く明るく生きている。一方、愛を貰えなかった人の心には、その土台がない。だからいつも心は不安定で弱い。 母親からの愛は、その人が生きていく上での自信になり、自己肯定になり、力になり、安心感となる。母親からの愛がないと、自信がなく、自己をいつも否定し、無気力で、不安に苛まれてばかりいる人生になる。…
悩み事を話せる相談相手はいますか? 私が一番つらかった時。 きっと、これから生涯、あんなにつらい日々はもう来ないと言えるほどの毎日。 私は中学校のほとんど、学校に行きませんでした。 不登校だったんです。 特に中2~中3の間はほとんど行かなかったかな。 私の家庭は小5の頃から家庭内別居状態で、両親が会話を全くしなくなっていました。細かい話は省きますが、14歳、中2の頃に離婚。私と姉は母に引き取られる…
わたしが今まで「おかあさん」と言った回数と、我が子が「おかあさん」と私を呼ぶのを聞いた回数を比べたら、どちらが多いのだろう。 母親と父親をはじめ、様々な場所でかけられた過去の呪いはまだ解けていない気がする。 だけど、こわい夢もいやな幻も少し薄れてきた現在、幸せな時間をまっすぐ受け止められることが増えた。 こころとあたまと生活を整えて、わたしがわたしのこどもを不幸にしないために、できることから始めた…
書きたい事は溜まっていくのにはてなブログの使い方がよく分からず別のブログに移行中。 移行した記事は下書きに戻し読むことが出来なくなる。 書いた日時は証拠になるので消さない。 最初は誰かに読んでもらいたい気持ちと自分の記録用で書いていたが気分が沈んだり、浮上できなかったりで書くのが辛くなったのも事実。 今公開している記事が移行したらはてなブログを続けるか、放置するか迷ってる。続けても滅多に更新しない…
たいしてアクセス数増えていないのにWordPressを一度使ってみたいという夢がありましたので、wordpressに引っ越しました! まだ完成してないですが、もしよければ見てください hinekuretausagi.com
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